従来、不可能と考えられていた網膜の再生医療に挑んでいる髙橋政代さん。イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に高く評価されるなど、世界的に注目されている研究者です。中高時代のどのような学び、体験が、現在の活動につながったのか、振り返っていただきました。
TOPIC-1
塾には通わず、学校の授業をきちんと消化する学習を徹底
中高生の頃に興味を持っていたことは何ですか。
髙橋 小さい頃から読書が好きで、シャーロック・ホームズや世界名作全集などを読んでいました。音楽も、クラシックからハードロックまで、ジャンルにこだわらず聴いていました。高校では、軽音楽部に入り、ロックバンドを組みました。中学生のときは、いわゆる優等生タイプだったのですが、そのままでは何となく面白くないので、ちょっと道をずれてみたいという高校生らしい反動だった気がします(笑)。
母校(大阪教育大学附属高校池田校舎)は、私服で、厳しい校則もなく、自由な校風でした。私は、強制されると、つい反発する性格で、それは今でも変わっていないのですが、母校の先生方は、生徒の行動を制限したり、何かを強制したりすることは一切ありませんでした。のびのびと中高生活を送ることができ、とても良かったと感じています。
勉強の面で頑張ったことはありますか。
髙橋 知らず知らずのうちに両親にしつけられていたのかもしれませんが、自宅できちんと勉強する習慣は身についていました。大量に課される宿題も怠けたことはありません。母校は、授業のレベルが高く、真面目に授業を受けて、予習・復習をして、宿題をこなしていれば、十分に学力が身につく教育を行っていたと思います。ですから、私は塾には通わず、学校の授業内容をきちんと消化する勉強に徹しました。唯一、高校3年生のとき、予備校の夏期講習だけは受講しました。物理が苦手だったのですが、この夏期講習で有名講師の授業を受け、それまでもやもやしていたことが、すっきり分かったという感覚を覚えました。何やら開眼したような気分になり、その後は物理が好きになりました。
医学部をめざそうと思ったきっかけは何ですか。
髙橋 正直に言えば、あまりポジティブな選択ではありませんでした。小学生のときに、キュリー夫人の伝記に感動して、「将来はキュリー夫人のようになりたい」と、作文に書いていますが、それを思い出したのは大学に入学した後で、進路選択に影響することはなかったですね。両親からは、「医師ならば、戦争になっても食いっぱぐれがない」と、よく意味の分からない理由で医学部を勧められ(笑)、ずっと反発していたのですが、最後まで他に学びたい分野が見つかりませんでした。結局、自分の実力を出し切って進める最も難しいところということで、京都大学医学部を受験しました。