新中学生へのメッセージ

周囲に上手に迷惑をかけながら“あなただけの道”を極めてほしい

社会学者
WAN (認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク) 理事長
上野 千鶴子さん


日本における女性学やジェンダー研究の分野を切り開いてきた社会学者である上野千鶴子氏。東大退職後もWAN理事長として積極的な活動を続けており、2019年の東大の入学式では、その祝辞が大きな話題になりました。中高時代や学生時代を振り返っていただき、何を大切にしてきたのか、どんな学びが必要なのかなどについて伺いました。

TOPIC-1

中学受験に関しては親の選択は正しかった

国立中学校に受験をして入られていますね。

上野 親が勝手に富山大学教育学部附属中学校を選び、言われるままに受験しました。自分の意志で学校を選んだわけでもありませんし、受験の意味もまったくわかっていませんでしたから、親に言われて受験をしたというだけの話です。

どんな中学校生活でしたか。

上野 自主性を重んじる学校だったため、生徒会活動やクラブ活動などに打ち込み、とても楽しい学校生活でした。親たちが互いに子どもたちを預かり、女の子同士でお泊まりすることもよくありましたから、アメリカのホームドラマに出てくる「パジャマパーティ」も経験しました。当時の友だちとは半世紀以上経った現在でも付き合いが続いていますし、結果的に親の選択は正しかったのだろうと思っています。

高校は、隣県の公立高校に進学されましたね。

上野 中学を卒業すると、父親が金沢市に引っ越したため、高校の状況がまったくわかりません。しかし、ここでも父親が私の受験する高校を決めました。トップ進学校の金沢泉丘高校ではなく、旧高等女学校を母体とする金沢二水高校です。当地では、「お嫁にもらうなら二水高校」と言われていたようで、父親は、娘に自立や職業人として生きるということを、まったく期待していなかったということがよくわかります。

高校生活はいかがでしたか。

上野 団塊の世代で進学競争が厳しかったため、高校が「灰スクール」と呼ばれていた時代でしたが、私の場合はピンクでした。男女が半々で女子が優位だったこともあり、学校行事はもちろん、新聞部員としての活動や生徒会活動を謳歌しました。男女交際も盛んで、文化祭にはボーイフレンドを紹介する慣例があったため、私も当時金沢大生だったボーイフレンドを紹介したことを覚えています。

TOPIC-2

親の家を出たくて京都大学を受験

なぜ京都大学を志望したのですか。

上野 とにかく親の家から出たいという一心からです。何もしなければ、自宅から通える金沢大学に進むことになります。そこで、ICUへの進学を希望しました。我が家は日本では稀少なクリスチャンファミリーだったのです。ところが、父親は「東京は娘を出すところではない」と即座に却下。その代わり、兄が下宿している関西ならいいということで、寮完備のミッション系女子大を勧めてきました。しかし、今度は私がそれを却下(笑)。その結果、兄と同居するという条件で、兄の下宿から通える京都大学と同志社大学を受験することにしたのです。

家を出る希望が叶ったわけですね。

上野 とはいえ、兄と同居です。当時は、自宅通勤が女性の就職の条件だった時代であり、父親も「娘は保護者の監督下におくべきだ」という保守的な考え方に染まっていました。しかし3カ月で一人暮らしを始めることに成功しました。「兄の友だちが出入りして勉強にならない」と訴えたところ、「勉強」の二語が効いたのか、すんなりと認めてもらえました(笑)。大学の近くで下宿を探し、夏休みから念願の一人暮らしとなりました。

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