TOPIC-3
ラクロスに打ち込みニート生活に突入
学校の成績が良くなくても東大に現役で合格します。
石川 東大に行きたいという強い意欲があったわけではなく、まわりが東大に行くからという理由で受験したように思います。ただ、合格を報告しに行ったとき、担任から叱られました。「お前は、受かってはいけない奴だ、そんな風だと人生苦労するぞ」(笑)と。まさか合格するとは思っていなかったため、この言葉を真摯に受け止め、大学では自分を苦しめなくてはいけないと決心しました。
大学では、どのようなことに取り組んだのですか。
石川 中高と部活をやってこなかったため、人生で一度も経験したことのない、体育会系の運動部に入ろうと思いました。たまたま中学時代の同級生が東大にいたため、その同級生が入っていたラクロス部に入ることにしました。勉強そっちのけでラクロスに打ち込み、学部時代は全日本ベスト8まで行きました。ところが、やり残し感があったため、大学院に進学してからは社会人チームに所属し、ラクロスを始めて6年目でついに日本一を勝ち取ることができました。
大学院卒業後の経緯について教えてください。
石川 ニート生活に突入しました(笑)。ラクロスに打ち込み過ぎて、燃え尽きてしまったのです。実は、高校受験の後も、大学受験の後も、そうした燃え尽き症候群に陥りがちな自分を感じていましたが、このときは本当に燃え尽きてしまって、2年間何もしないニート生活を送っていました。
TOPIC-4
ハーバード大学大学院を経て予防医学政策を立案
そこからどのように復帰されたのですか。
石川 さすがに、いつまでもニートを続けるわけにはいきませんし、日本社会は一度ドロップアウトすると戻るのが難しいため、海外でロンダリングをしようと考えました(笑)。幼い頃から母親に「善樹、あなたはハーバードに行くのよ」と繰り返し言われてきたこともあって(笑)、ハーバード大学大学院に出願することにしました。そういう洗脳がなければ、ハーバードが視野に入ってくるはずはありません。結局、2回目の出願で、奇跡的に合格し、アメリカに向かうことになりました。
ハーバード大学の生活はいかがでしたか。
石川 人生のなかで死ぬほど勉強した2年間でした。それまで一度も海外に行ったことはなく、まず入国審査官の英語が全く分かりません。「これで本当にハーバード大学の学生になるのか?」という感じだったと思います(笑)。入学式での学長の話も何も分かりません。ですからその後は、毎日12~14時間くらい勉強していました。1年半くらいそんな生活を続けた結果、足腰の筋肉が衰え、トイレから立ち上がれなくなっていました。
帰国後は、どのようなお仕事に携わったのですか。
石川 ラクロスの次の目標として掲げたのが、日本の健康政策の立案でした。そこで、ハーバードで修士号を取って帰国すると、厚生労働省の健康政策立案チームの一員となって「健康寿命」という概念を創出しました。以来、厚労省では平均寿命ではなく、健康寿命を謳うようになりました。ところが、ここでもまた燃え尽きてしまったのです。
目標が達成できたからですか。
石川 はい。何もやる気が起きなくて、半年くらいブラブラしていましたが、30歳になってようやく気づきました。僕にとって「何か目標を立てて達成することを目指すこと」は危険なことだと(笑)。そこで、30~50歳までは“修行期間”と定めました。何をするではなく、修行をするということだけを決めました。修行ですから、やりたいことも、やりたくないこともやります。その結果、予防医学の狭い世界から飛び出し、学問の世界からも飛び出し、ビジネスや政治、芸術などいろいろな世界で仕事ができるようになりました。