新中学生へのメッセージ

課題だらけの日常から離れ「ボーッとする時間」が自分らしさを育む

作家 川上 弘美さん


TOPIC-3

北杜夫の世界に憧れリアルな「ダメ学生」をめざす

生物学科に進学されていますが、生物学に興味があったのですか。

川上 生物学への興味というよりは、北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」の世界に憧れ、医大に入って、文章のかけらを書きながら、北杜夫的なすてきにダメダメな学生時代を送りたいと思っていたというのが正直なところです。今思えば、無意識に文章を書きたいと思っていたのでしょうが、当時はその思いを自覚できず、北杜夫にゆかりのある、信州大学(旧制松本高校)や東北大学などで、医学を学びたいとぼんやりあこがれるばかりでした。しかし、医学部に行く学力がなかったため、医学に関係のある生物を選んだのです。父が生物学の研究者だったことも学科選択の遠因になっていると思います。

どのような大学生活を過ごされたのですか。

川上 思い出すのも恥ずかしいくらいの落ちこぼれ学生でした。生物学科の同期生は20数人で、皆しっかり勉強する人たちばかりでした。ところが、私はSF研究会に入り、SF小説を書き始めたら、そちらの方が断然面白くなり、SF研の部室と図書館に入り浸る生活を送ることになります。ですから、生活だけは北杜夫の青春記そのもの(笑)。4年次になると卒業研究をするのですが、他の優秀なメンバーが熱心に実験を繰り返すなかで、私はひとり研究室でおでんを煮たりしていました。

TOPIC-4

作家への夢を抱きながら現実の生活に追われる日々

作家になろうという気持ちは、いつ頃から生まれたのでしょうか。

川上 SF研時代から半商業的なSF雑誌に投稿しており、何度か掲載されるようになっていたので、小説家になれるかもしれないという期待はありましたが、本心ではダメだろうとあやぶんでいました。

それでも、諦めなかったのですね。

川上 いやいや、よくバンドをやっている子が「オレはロックミュージシャンになる」というのと同じノリで、「あたしは小説家になる」と周囲に言っていましたが、具体的なビジョンなどありませんでした。本気で就職する気もないため就職試験はことごとく落ちましたし、勉強していなかったため大学院の試験も不合格。結局、研究生という立場で大学に籍を残し、SF雑誌の出版社でアルバイトをしながら、2年ほどふらふらしていました。

中高の生物科教員になったのはなぜですか。

川上 雙葉時代に在籍していたクラブの顧問のシスターが、田園調布雙葉の校長に就任した際にお誘いを受けたからです。といっても、そのシスターは最初、私とフォークデュオを組んでいた友人の方を誘っていたんです。ところが、彼女は研究の道に進む意思を固めていたため、「山田さん(旧姓)がふらふらしているみたいだから、採ってあげたら」と私を推薦してくれていたそうです。持つべきものは良き友ですね(笑)。

教員時代は小説をお書きになっていたのですか。

川上 仕事が忙しくて書いてはいませんでした。教えること自体は好きでしたが、担任という仕事は苦手でした。真に生徒の身になって考えるということがなかなかできなくて悩んでいるような、いろいろな意味で煮え切らない教師だったと思います。結局、結婚を機に退職し、専業主婦となり、名古屋に引っ越すことになります。

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