新中学生へのメッセージ

自分が何をしたいのかをはっきりさせて そこに全力を注ぐような生き方をしたい

謎解きクリエイター
RIDDLER株式会社 代表取締役
松丸 亮吾さん

謎解きの世界で知らない人はいないほどの有名人となった松丸亮吾さん。現在は、クリエイター、芸能活動、社長業の3つの仕事をこなす忙しい日々を送っています。どのような中高時代や学生時代を送ってきたのか振り返っていただき、中高時代に心がけておいてほしいこと、保護者の方々に伝えたいことなどをお聞きしました。

TOPIC-1

自由な学校生活を求め、麻布中学校に入学

なぜ中学受験をしようと思ったのですか。

松丸 長兄のDaiGoと喧嘩していた小学4年のとき、その兄が東大入試で不合格だったのを知り、対抗心から「僕は絶対に東大に行く」と宣言したことがあります。すると親からは「東大に行くなら勉強しなきゃね」と言われ、中学受験を考えるようになりました。

麻布を選んだのはご自分の意志だったのですか。

松丸 はい。昔からやりたくないことをやらされたり、行動を制限されたりすることがとても嫌いで、何でも自由にできる学校に進みたいと思っていました。麻布は制服がなく、校則もほぼありません。学校見学に行くと、髪を金色や青色、レインボーに染めた生徒が歩いています。ここなら自分の個性が見つけられるかもしれないと思ったのが、一番のきっかけでした。

どのような学校生活を送ったのですか。

松丸 中高時代は、自分がやりたいこと、興味を持つことを究めることが一番大切だと思っていました。そのため、いろいろな部活に入り、飽きては辞めをくり返していましたが、テニス部だけは3年間続けました。興味があったからです。高校からは、友人に誘われる形で演劇部の創部に参加し、脚本を書いたり、演じたりしていました。自分たちで作った物語を自分たちで完成させるという経験が非常に新鮮で、演劇部での活動がその後の僕のクリエイターとしての出発点となりました。

進路についてはどのように考えていましたか。

松丸 当時はゲームクリエイターになりたいと思っていました。そのためには大手のゲーム会社に入る必要があると考え、プログラミングやコンピュータなどを学べる工学系に進むつもりでした。ただ、麻布に入学したことで何とかなるだろうと、高2の冬までまったく勉強しませんでした。ところがその冬に母が亡くなり、遺品の日記に「亮吾が東大に行く姿を見届けたかった」との記述を見つけたのです。実は、小学4年のときの誓いのこともまったく忘れていました。このことがきっかけとなって一念発起し、宣言通り東京大学の理科Ⅰ類に合格することができました。

TOPIC-2

謎解きサークルの活動でテレビ出演を果たす

東大での学生生活はどのようなものでしたか。

松丸 ゲームクリエイター志望だったこともあり、情報工学科か機械工学科、精密工学科あたりに進みたいと思い、それなりに勉強していました。東大は3年次から学部に所属するのですが、点数的には大丈夫だったにも関わらず申請ミスにより、志望していた学科に進めなくなってしまいました。行きたくない学科に進んで、やりたくもない仕事に就くのはいやでしたから、その段階で休学届けを提出し、謎解き制作のサークル活動に専念することにしました。

その間にテレビ出演を果たしています。

松丸 休学期間中に社会人経験を積んでおきたいと、外部受注を増やす努力をしました。いろいろな人と出会い、仕事をこなしているうちに評判となり、「今夜はナゾトレ」というテレビ番組からオファーが来ました。休学してから7カ月目です。そこから徐々にテレビ出演が増えていきました。

TOPIC-3

クリエイターとして生きる覚悟を決めた

将来の夢はずっと変わらないままだったのですか。

松丸 サークルの活動が軌道に乗り、テレビ出演が多くなるにつれ、「一緒にゲームを作りませんか」「一緒に本を書きませんか」「一緒に漫画を描きませんか」といった発注が増えてきました。番組に出るだけでなく、コンテンツを作りましょうとのオファーでした。自分が何かを突き詰めて人とは違うスキルを持っていれば、一緒に作ろうという人が出てきます。つまり、ゲームクリエイターでなくてもゲームを作れることに気づいたのです。ゲーム会社に入らなければゲームが作れないという時代は、もう終わりに近づいてきているのだと感じました。

それが起業につながったのですね。

松丸 いいえ、最初はフリーランスのクリエイターとして活動していくつもりでした。あるとき、就職に悩んでいる仲間の話を聞く機会がありました。謎解きを続けたいのにそれで生活していけるかどうか心配だというのです。そのとき、僕が謎解きを続けられる場所を作ればいいのかもしれないという考えが浮かびました。そんな場所ができれば、バラバラなところに就職していった仲間も呼び戻せるのではないかとも思いました。やりたい仕事とやりたくない仕事では、仕事にかける熱量が全然違いますから、今ではとてもいい感じで仲間たちと仕事ができています。

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