第1部 特別講演(1)
チャレンジャーよ、来たれ!
本校は1895(明治28)年、江原素六先生により創立されました。以来、自主自立、自由闊達の校風を旨として、多くの青年を世に送り続けてきました。本校の校歌2番の一節には次のような歌詞があります。「愛と誠を もといとたてつ 新しき道 先駆け行かむ」。ここには本校の教育の根底にあるものが示されています。私はこのフレーズを現代風にこう訳しています。愛は「真理を愛し、学問を尊重し勉学を奨励する」。誠は「権威・権力に媚びず、物事の本質を見極める」。そして、新しき道 先駆け行かむは「まだ誰も通ったことのない道を真っ先に行く」。麻布は自由な学校だと言われますが、「愛と誠の精神の下、未踏の道を先頭を切って進む」、それを実現するために、自由があるのだと私は解釈しています。
本校は、もともとはそれほど自由な学校ではありませんでした。制服も、成績による序列化もありました。1970年代、そういった規則などが不合理である、あるいはもっと生き生きとした授業を受けたいと生徒たちが立ち上がり、教員もそれを真剣に受け止め、全校生徒と全教職員が4日間にわたって話し合いをしました。その結果、生徒の自主活動は基本的に自由ということが確認されたのです。学園紛争が盛んだった当時の文脈でいえば、自主活動というのは、当然ながら政治活動も含んだものでした。
現在、麻布には制服はありませんし、明文化された校則もありません。それは生徒の自主活動は基本的に自由だと、50年前になされた確認が私たちを規定しているからであり、生徒一人ひとりが、各自の中に、外から強制されるものではない基準をしっかり設けなさい、ということを意味しています。自由な服装、自由な髪型など外面的な自由に目が行きがちですが、むしろ豊かな精神、内面的な自由を大切にしている学校だとご理解いただければと思います。
「新しき道、先駆け行かむ」、そのチャレンジのために、本校の自由があるのだと申し上げました。チャレンジした結果は、成功もあれば失敗もあります。多くの人は、成功の反対は失敗だと思うかもしれません。しかし私はコインの表裏だと思います。運があって成功したとしても、ほんの少しだけ努力が足りなければ失敗したかもしれない。成功の反対は、チャレンジしないこと。新しき道を先駆け行かず、無難に過ごすことなのではないのかなと思っています。
今、学校は数多くのものを期待されています。大学進学、そして就職、あるいは友人との付き合いなど人間関係の構築。たいへん多くのものを担わされていますが、私はそういうものは全て「修飾」であると思います。それらをすべて剥ぎ取った後に学校の果たすべき使命として何が残るのか。私は、それは個の確立であり、人格の陶冶であると思います。個の確立は、自分で考え、行動し、その責任を自分でとること。そして人格の陶冶は、陶器をろくろで回し作っていくように、円満で豊かな人間性を創造すること。本校に限らず全ての学校において、そのことが教育の本質ではないかと私は思っています。
それでは、それらを育む麻布学園の器とはどのようなものでしょうか。授業においては、基礎力の徹底、実験観察の重視、そして実体験、実技の重視。また昨今、英語4技能がいわれますが、本校では数十年前から読む・聞く・話す・書くを意識しています。さらに教育の特徴としては、徹底的に自分の頭で考えさせることを重視しています。そしてその考えを伝達するため、書くことで表現することを大切にしています。中学入試でもそのような問題が多いのではと思います。入学後は、中学でも、卒業共同論文、高校では、社会科基礎課程修了論文などがありますし、毎年、生徒のレポートや論文、作品などを集めた論集を発行しています。
また、多様性を認め合う教育として、中1社会では本校独自の「世界」という科目を実施しており、16年前からは新しい試みとして高1・高2対象の「教養総合」というテーマ別の必修選択授業も設けました。教員だけではなく卒業生が担当するものもあり、生徒たちは幅広く、さまざまな刺激を受けることでしょう。
こうした麻布の教育を支える体制ですが、生徒20人に専任教員1人がつき、授業に占める専任教員の持ち時間数が83%と、たいへん手厚い指導を行っています。また、近年は経験豊富なベテラン教員に加え、若く優秀な教員も多くなってきています。このような学校の優れた環境をただただ享受するのではなく、自分なりに意欲やチャレンジャー精神をもって、学園生活にぜひ臨んでいただきたいと思います。
「チャレンジャーよ、来たれ!」。どうもありがとうございました。