新中学生へのメッセージ

TOPIC-4

日本での医師の仕事と両立できる道を模索

ネパールの大地震の緊急援助で、日本人の手術室看護師と外科手術にあたる久留宮医師(2015年)

帰国後はどのような生活でしたか。

久留宮 帰国したときには「このままでは終われない」という感覚がありました。現地の医療の状況を知ってしまった以上、「これで辞める」という選択肢はありませんでした。帰国して2週間後にシエラレオネでのミッションのオファーがあったときは、二つ返事で引き受けたほどです。2回目のミッションでは、自分なりの修正ができましたが、もう少し何とかしたいという思いも残りました。ただ、日本での仕事も考えなければなりません。そこで2回のミッションの後は、新しく設立されることになった病院で5年間働きました。しかし、日本の病院で働き始めるとミッションには参加できなくなります。どうしたら国境なき医師団に参加する道が開けるかを考えていると、出身の医局から復帰の誘いがありました。結果的には入局せず、ミッションに参加できる条件で病院長と直接契約することで、国境なき医師団の活動と両立することができるようになりました。

国境なき医師団に参加するようになって、医療への考え方は変わりましたか。

久留宮 医療の原点をより明確に意識するようになりました。患者や医療を必要としている人たちが望んでいるものを提供するのが医療であって、医師が与えられるものだけを提供するのは医療ではありません。その人が何をしてほしくて病院に来たのかを真っ先に考えなければ医療は成立しません。医師が専門外の患者を断るために、救急車が病院をたらい回しにされるようなことがあってはいけないのです。国境なき医師団に参加しているとそういうことがわかってきますから、帰国する度に専門外のことも含めて勉強し、技術を磨くようになりました。日本で専門を超えた治療をすることはありませんが、万一医療システムが機能しない状況になったとしても、最善の方策を考える準備はできています。

TOPIC-5

本当にやりたいことなら集中して効率的に学べる

今後の抱負をお聞かせください。

久留宮 現在、国境なき医師団日本の会長職に就いていますから、日本のみなさんに現在の「国際医療人道援助」の現状について、その背景も含めて理解していただけるような活動をさらに広げていきたいと考えています。また、国境なき医師団に参加していただく若い医師のみなさんが、参加しやすい環境づくりも大切です。私のように医局を辞めなければ参加できないとか、外科医でなければ参加が難しいといった状況は、長期的には変えていかなくてはなりません。日本のみなさんの「国際医療人道援助」への理解と共に進めていきたいと思っています。私自身は可能な限り国境なき医師団の活動を続けるつもりです。

新中1生に何かメッセージをいただけますか。

久留宮 何事に対してもポジティブな考え方をすることが大切です。失敗は成功への通過点であり、自分が目標に到達することを諦めたとき、失敗は本当に失敗になるのです。ただし、目標とする到達点に達することが現実的に難しい場合は、そもそもその目標設定が妥当なのかを検討することも大切です。妥当でなければ別の目標に変えなければなりません。自分に何ができるかを一つひとつ考えながら、フレキシブルに目標到達点を考えていくことはとても重要です。1つの目標を諦めた時点で失敗ではありますが、その失敗はかならず糧になるはずです。

保護者のみなさんにも一言お願いします。

久留宮 子どもが本当にやりたいことをやらせてあげてください。本当にやりたいことだと集中し、効率的に学びとっていくからです。子どもにこうしてあげたいという親なりの気持ちはあるでしょうし、その期待に答えたいという子どもの場合は、しっかりサポートをすればいいと思います。親の希望通りにいかない場合であっても、最後は子どもの気持ちを大切にして、応援し続けてほしいと思います。

国境なき医師団(MSF)日本 会長/外科医
久留宮 隆(くるみや・たかし)さん

1959年愛知県生まれ。県立旭丘高校から三重大学医学部に進学。1984年三重大学医学部第一外科入局。三重県を中心に各地の地域中核病院で外科に勤務し、診療部長、手術室長などを歴任。2004年国境なき医師団(MSF)に初参加し、2009年よりほぼ毎年ミッションに参加。2018年MSF日本副会長、2020年より現職。現在、三重県津市の永井病院で救急を担当。著書に『国境なき医師団が行く』。

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