新中学生へのメッセージ

TOPIC-4

帰国後は1学年下に合流。「語り合える」仲に

帰国後、一つ下の学年に合流してからの高校生活はいかがでしたか。

久保田 初めはなかなかなじめず、昼休みになると元の学年のクラスに行ったりしていました。でも、そこで元の学年の友だちに、「直子、もう来るな。これから一緒に過ごす子たちと仲良くなれなくなるから」と言われたのです。一方で、元の学年の友だちは、後輩たちに「直子をよろしくね」と言って回ってくれていたようです。1学年下の生徒もすごくいい子たちで、「留学、どうだったの」「“久保田さん”とか、“先輩”呼びはイヤだよね。じゃあ“パイセン”で」などと話しかけてくれるようになりました。そこからは、すごくにぎやかな毎日になりました。

留学前に悩んでいた、人とのかかわり方は変わりましたか。

久保田 遊びや行事を通じて仲を深めていくうちに、昔はできなかった深い話、たとえば「私はこの先、この大学に行ってこれがやりたい」というような夢も語り合えるようになりました。その子たちとの付き合いは今も続いていて、ちょっと自分が停滞しているときも「この子ががんばっているなら、私もがんばろう」と思える、そんな存在になっていきました。「留学前に大人が言ってくれたことって、これだったんだ」と実感できました。ある意味で異分子であった私を、手放しで迎え入れてくれた鷗友の仲間たちにとても感謝しています。

TOPIC-5

アナウンサーを目指して積極的に活動

アナウンサーという職業を意識し始めたのはいつからですか。

久保田 もともと、ファミリー向けのクイズ番組の司会をされていた逸見政孝さん(故人)や福澤朗さんの姿を拝見して、「あんなふうに人を楽しませる存在になりたい」という気持ちがうっすらとありました。そして高校2年生のときに、高校3年生、つまり元々の同級生たちの送別会をやることになり、「私が送り出したい」という気持ちから司会をやったのです。ホールでマイクを持ったときに、何かしびれたというか、本当にぞくぞくして、「これだ、これが間違いなく私のやりたいことだ」と、アナウンサーをめざすことになったのです。

アナウンサーになるために、どんな準備や活動をされましたか。

久保田 立教大学進学後は、アナウンサーの仕事に少しでも近づけるようにと、テレビ局のイベントに参加して、何十人ものアナウンサー志望の子たちと一緒に活動をしていました。今まで学校という狭い世界で生きてきたのですが、「これがアナウンサーになる子たちだ」と思わせるような洗練された人たちに出会い、大きな刺激を受けました。テレビ局のアナウンサー学校にも、大学1年生の時から通っていました。

ご家族からはどのようなアドバイスがありましたか。

久保田 実は両親からは、「採用人数も少ないし、海のものとも山のものとも分からない業界だけをめざすのは非現実的。だめだった時の行き先も考えたほうがいい」と言われていました。でも、私のなかにはアナウンサーという選択肢しかなかったので、「絶対に受かってみせる。東京がだめだったら、沖縄から北海道まで受け続けるからやらせてください」と宣言していました。当時は、「自分がピンときたものは絶対に間違いない。準備ゼロでフランスに行ってもどうにかなった。だから、どうにでもなる」という、恐ろしいぐらいの確信とみなぎるやる気、そして自信に満ちあふれていました。

狭き門を突破した秘訣は何でしょう。

久保田 「友だちのはとこがアナウンサー」というような細いつながりでも食らいついて、お話を聞かせてもらったりしていました。そのなかの一人が、富川悠太アナウンサーです。富川さんには、日記をつけるようにとアドバイスされました。その日記のなかで、「自分は何が好きなのか」ということはもちろん、たとえばそれがゴルフなら「何が好きでゴルフをやっているのか」「ゴルフをやってこう感じている」「感じたことをこういうふうに変換して、こういうところに還元したい」と、どんどん掘り下げていくことを勧められたのです。それを実行したら、いつの間にか就職活動での自己アピールが苦痛ではなくなっていました。おかげで就職活動は順調に進み、テレビ朝日に採用されることになりました。

TOPIC-6

肩書なしでも勝負できる自分になりたい

念願かなってアナウンサーに。仕事上のモットーは何ですか。

久保田 ずっと、「アナウンサーらしくあろう」と心がけてきましたが、最近、仕事関係者から「アナウンサーらしさ、ナレーションっぽさはいらない。久保田直子らしさがほしい」と注文されることが増えてきました。バラエティの仕事でも、共演のマツコ・デラックスさんに「その年齢になるまで、いろんなことを経験したと思う。それを通して身についた、ちょっとひねくれたところとか、世の中を斜めに見るところとか、悲哀感だとか、そういうものをぜーんぶひっくるめてあなたなんだから、それでいいの」と言っていただき、ありがたかったですね。アナウンサーという肩書きを一度外して、人間としての久保田直子でどう勝負するか。これをめざすのは難しいし、責任がいることですけれど、今後はその期待に応えたいと思っています。

中学校に入学する子どもたちにメッセージをお願いします。

久保田 中学時代までは「いい子でいなければいけない」と自分を縛っていましたが、年を追うごとに自分から自由になっていって、楽しく毎日を過ごしています。皆さんも「みんなと一緒でなくてはいけない」と思い込んで窮屈になっているのなら、一度その思い込みを取っ払ってみてください。「自分らしくやってみてもいいじゃない」、この言葉を伝えたいですね。

テレビ朝日 アナウンサー
久保田 直子(くぼた・なおこ)さん

1981年東京都生まれ。鷗友学園女子高等学校在籍時に、ロータリークラブ交換留学生としてフランスに1年間留学。立教大学社会学部入学後、2002年度の準ミス立教に選ばれる。同大卒業後の2005年、テレビ朝日に入社。アナウンサーとして、現在は「大下容子ワイド!スクランブル」「マツコ&有吉 かりそめ天国」「食ノ音色」などで進行や語りを担当している。

おすすめの記事