「再発見・男子校の魅力」

平 秀明 先生・山﨑 一郎 先生・山西 廣司 先生・髙宮 敏郎 氏

平 秀明 先生
<パネリスト>
麻布中学校・高等学校
校長
平 秀明 先生
山﨑 一郎 先生
<パネリスト>
慶應義塾普通部
部長
山﨑 一郎 先生
山西 廣司 先生
<パネリスト>
早稲田大学高等学院
学院長
山西 廣司 先生
髙宮 敏郎 氏
<コーディネーター>
SAPIX YOZEMI GROUP
共同代表
髙宮 敏郎 氏

自由な校風が育む自主性

パネルディスカッション1

髙宮 本日は、お集まりいただいた3校に共通する校風を切り口に、男子校で中高6年間を過ごすその価値を、会場の皆さんと一緒に再発見、再認識していきたいと思っています。まず「自由な校風が育む自主性」ということで、制服あるいは校則というものを通じて、各校がどういうことを考えていらっしゃるのか。そこからお聞きしたいと思います。

 以前の麻布は、とても厳しい学校でした。制服もありましたし、登校時に正門のところで服装チェックもしていたようです。さらに、席も成績順で、成績が優秀でない者はいろいろな委員にもなれないという、少し不合理な制度もありました。それが1960年代末の学園紛争で、大学生と同じように高校生も声を挙げたわけです。その一つが制服廃止です。教員と生徒が話をして、着たい者は旧来の制服を標準服として着用する形で落ち着きました。1990年代の初めくらいまでは、8割くらいの生徒は標準服を着ていましたが、90年代も半ばになると、全員が私服になりました。
 とかく、麻布の自由はそういう点から謳われがちなのですが、私はやはり「精神の自由」を大事にしてほしいと思っています。そもそも校則がないのも、自分自身の規準を作りなさい、自律を目指しなさいという姿勢の表れなのです。

髙宮 早大学院にも共通することがありそうですが、いかがでしょうか。

山西 本校でも、学生紛争の頃に、高校で制服着用が自由化されました。麻布ととても似ているなと思うのですが、髪形なども特に決まりはありません。ですが、中学では制服を着用することになっています。中高の6年間をかけて「自律」を学び「自立」へつなげていくためには、中学と高校で若干やり方を変える必要があると感じています。

髙宮 制服について、恐らくいちばんコンサバティブなのが慶應普通部だと思いますが、いかがでしょうか。

山﨑 確かに、普通部は詰め襟の制服です。そういう意味では、塾生はあまり考えていないのかなと思います。ただ、ルールというのは、紙切れ一枚に収まる程度です。普通部生にはいつも「端正であれ」とだけ言っています。

学びにおける自由

髙宮 次に、「学びにおける自由」ということについてお聞きしたいと思います。学年順位などを公表することがあまりない点でも3校は共通していますが、何か特徴的なことはございますか。

山﨑 自由という考え方はとても幅が広く、難しいところだと思います。先ほど、労作展における自由という点から、普通部の説明をしましたが、昨年度の卒業式では初めて、個人名を挙げてその業績を評しました。一人は労作展で生け花をやってきた生徒。「卒業式の壇上の花を生けたい」と申し出てくれました。二人目は気象予報士にトライして合格した生徒。そして、もう一組、経済産業省がやっているITクリエーターを育てる未踏事業(「未踏IT人材発掘・育成事業」)に応募した2人が見事採択されました。大学生や大学院生のなかで、彼らだけが中学生。最年少の採択だったのです。そういうことを成し遂げた彼らは、「ある意味では自由の価値にいち早く気がついた人である」ということを伝えました。

髙宮 早大学院には、大学との連携についてお話しいただければと思います。

山西 学ぶ環境を用意することとアドバイスを与えることが大事だと考えており、高校での国際交流プロジェクトや環境プロジェクトなどのいくつかは中学生にも開放しています。もちろん、参加しただけで終わる生徒もいますが、「自分には合わなかった」という発見も貴重な経験です。そのうえで次にどういう工夫をするのかで大事な視点が育つからです。大学との連携をきっかけに様々な自発的取組がなされるよう、ちょっとした助言・支援が大切だと思います。

髙宮 最近は、面倒見の良い学校というものが志願者を増やす傾向があります。そのなかで、麻布は、その対極というか、“放任”と世間に誤解されている部分と、指導要領にとらわれない自由な学びという二つの側面があるように感じますが、いかがでしょう。

パネルディスカッション2

 本校では、いろいろな場面で「自分で考えろ」と言います。そこが手取り足取りの学校とは対極に見られるようなのですが、私は、麻布は日本でいちばん面倒見の良い学校だと思っています。というのも、本校では、学年の教員が学年会を構成して、協力しながら生活や学業の指導を手厚く行っています。職員会議でも、校長提案などというものは簡単に葬り去られてしまう(笑)。それくらい、教員の目は生徒の方を向いています。
 先ほどの講演で紹介した「教養総合」も、15年前にゆとり教育への対応として生まれました。「総合的な学習の時間」を麻布のなかではどのように実現するかということで、数年間議論を重ねて作り上げました。今度は「ゆとり教育が良くない」と、文部科学省は「総合的な学習の時間」を減らす方向で考えているようですが、麻布はそういった世間の流れとは関係なく、「教養総合」の授業をずっと続けるつもりです。なぜなら、この授業は私たちがしっかり考えて、学校に合う形でカスタマイズしたものだからです。

進路の多様性

髙宮 進路が多様化するなかで、高校において進路選択がどのように行われているか、気になるところです。まずは、進学校である麻布からお聞きしたいと思います。

 皆さん、驚かれるかもしれませんが、今春の現役進学率は47.8%。浪人する方が多いのです。「先生、浪人しちゃいました」「良かったね。麻布でメジャーだよ」と言っています(笑)。なぜそういう結果になるのか。現役のときはみんなプライドもあって、難しい大学を受けてしまうからです。最近は、京都大学への進学が増えていますが、これは、「権威に対してとにかく反抗してみたい」という“へそ曲がり”が多いからではないでしょうか(笑)。京都大学には、学問の自由、学生の自治という伝統がある。そういう意味でも志望者が多いのかなと感じています。

髙宮 慶應普通部の場合、間に高校を挟むため、大学進学については把握が難しいかもしれませんが、いかがでしょうか。

山﨑 慶應の場合、男子校が日吉にある慶應高校と埼玉の志木高校、女子校が三田の慶應女子、共学が湘南藤沢高等部、そして、ニューヨーク学院と五つあります。合わせて1学年1500人くらいいますが、ほぼ全員が推薦で慶應義塾大学に進学していきます。普通部の生徒のほとんどが進む慶應高校からは75%くらいが経済・法学・商学部に進学しています。理工系は10~15%。最難関の医学部へは慶應高校から22人の推薦枠があり、このうち普通部出身者が例年半数以上を占めています。

髙宮 早大学院はいかがですか。

山西 中学部からの生徒はまだ卒業していませんが、これまでのところ、ほぼ3分の1が「基礎」「創造」「先進」の理工系の3学部に進学しています。高2からは緩やかな文理コース制となりますが、それまでに進路が決まらない生徒にはひとまず理系を選ぶように指導しています。3年次に文系に変更できるカリキュラムにしているからです。

パネルディスカッション3

髙宮 麻布では、進路選択においても、生徒たちの自主性を重んじる指導をなさっているのではないかと思いますが、大学、あるいは学部の選択に当たって方針のようなものはございますか。

 特にはありません。生徒たちは、それぞれがいろいろな葛藤を抱えながらも、高2、高3にもなると、自分は何のプロとしてお金を稼ごうかと考えます。そういう状況のなかでの大学選択ですから、本人が決めた進路に対しては、「今の学力ではだめだ」とか「玉砕だな」と思っていても言いません(笑)。「頑張れよ」「お前なら、絶対なんとかなる」と励まします。その結果が50%ぎりぎりの現役進学率ですけれども…。それでも、思いがあれば、一浪すれば、第二志望くらいには行っているので、そんなに心配することはないと思っています。

卒業生のネットワーク

髙宮 “社会に出てから”という点では、3校ともに、OBのネットワーク、あるいは卒業してからの人間関係も、濃密なものがあるのではないでしょうか。

山西 高校に絞っても、卒業生は約3万9000人、大学では約70万という数になります。高校の方では、たとえば本校のSGHについて助言をいただいている方の一人はフランクフルトで総領事を務めている卒業生ですし、毎年高校3年生にむけておこなうキャリア講演会には、卒業生が20名程度お手伝いしてくれています。すでに高校、大学にはあるネットワークですが、いずれは中学部卒業生のネットワークも、大きく広がっていくことになるだろうと期待しています。

 麻布でも、卒業年度ごとにOB会があります。この間も、1957年卒業のOB会に呼ばれましたが、集まったのは107人。77歳の方たちですが、皆さん、とても元気なおじいちゃんなのです。どの学年もそういう感じで、卒業生は本当によく集まります。やはり中学・高校時代の6年間の濃密な時間を過ごしたということは、何ものにも代え難い宝なのかなと、感じます。

山﨑 高校の先生に聞くと、普通部の卒業生と中等部の卒業生とではずいぶんタイプが異なるそうです。普通部生には「一定の評価を受けるところまでは自分で頑張る」という意識がとても強いからではないかと思います。「労作展」などで一人ひとりの頑張りを見ているからこそ、友だちの卒業後の成長にも気づく。「目路はるか教室」へ協力してくださるOBの方たちの様子を見ていても、「自分たちはもう少し頑張れるのではないか」「もう少し世の中のためになれるのではないか」という思いから、不文律のOB同士の関係が成り立っているということを感じています。