中学受験と子育てを考えるフォーラム

特別講演(2)“からだ”を育てる、“ことば”を育てる

梶取 弘昌 先生
武蔵高等学校中学校
校長
梶取 弘昌 先生

 本校はもうすぐ100周年を迎えます。東武鉄道の敷設に大きな関わりを持った実業家で、社会から得た利益は社会に還元する義務があるという考えから、莫大な資産を投じて武蔵を立ち上げました。その建学の理念として「東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物」「世界に雄飛するにたえる人物」「自ら調べ自ら考える力ある人物」という三理想があります。このような人物を育てたいと100年間教育を続けてきて、現在も変わらず、私達もこの三つを大切に考えています。

 まず、現在進んでいる新しい建築の話からお話ししましょう。建築は教育を形にしたものです。新しい施設だから良いというのではなく、「この建物を使ってどのような教育をしていくのか」が大事です。われわれはそのコンセプトを「学びの水脈」と「対話の杜」ということばで表現しています。「学びの水脈」というのは、学園の中に流れている濯(すすぎ)川に象徴される旧制武蔵高等学校以来の学び、それを現代につなぎ、さらに未来にまでつないでいく、そのような意味を込めて「学びの水脈」と言っています。一方の「対話の杜(もり)」というのは、広大な敷地の中で生徒たち教職員、学園内の人たちが対話をする、そのような杜でありたいという願いを表しています。

武蔵生の知的探究心を刺激する「理科・特別教室棟」武蔵生の知的探究心を刺激する「理科・特別教室棟」

 新しい建物はすでに使用を始めており、フーコーの振り子もあります。高校で持っている学校はそれほど多くないのではないでしょうか。天体ドームも備えています。本校の太陽観測部は旧制高校の時代から太陽の黒点を観測している伝統ある部で、「初代はやぶさ」でエンジン開発を担当した宇宙工学者の國中均さんも同部の出身です。本学では伝統的に理科教育も大事にしており、実験室や講義室などの施設も充実しています。

 さて、今回お話しさせていただくテーマは「“からだ”を育てる、“ことば”を育てる」です。このことばを使って、未来の学校とはどのようなものか、私の考えをご紹介させていただきたいと思います。“からだ”とは、身体、精神、生きてきた歴史、自分を取り巻く環境など、「自分のすべて」を表しています。そして、“ことば”とは、言語を含む、音楽、美術など「“からだ”を伝える手段」を表しています。

 “ことば”を介して、“からだ”と“からだ”がつながっていく、私はこのように考えています。それぞれの“からだ”が育てられても、それだけでは“からだ”単独のものでしかありません。それをつなぐのが“ことば”です。言語などを含めていろいろな手段を使って自分自身を表現していく。それが世界とつながっていくということで、世界とつながって初めて学びの意味が出てくるのだと考えています。

太陽観測部太陽観測部は1931年から黒点の記録を行っている

 たとえばテストで100点をとったとします。確かにすばらしいのですが、それだけでは意味はありません。それが世界とどうつながるのか、それができて初めて学びの意味が出てくるのではないでしょうか。“からだ”そして“ことば”を、きちんと育て、作っていかなければいけないと考えています。

 では未来の学校とはどのようなものでしょうか。私は東京私立中学高等学校協会の中の研究会で「学校づくり研究会」の委員長を務めており、他校の先生方と未来の学校についての話し合いを続けています。しかしそんな我々であっても、20年後の学校の姿がどうなっているのか、まったくわかりません。小学生のお子さんが大学に入るときにどのような社会、時代になっているのか、それは誰にもわかりません。ただ学校というのは、大人と子どもがともに育つ場所です。そこではリベラルアーツが重要であるはずで、本校ではリベラルアーツ・サイエンスを考えることに学園を挙げて取り組んでいます。

 リベラルアーツとは、中学、高校であれば、いわば「足腰を鍛える基礎学問」です。最近、知識偏重からの脱却が言われていますが、知識は大事です。知識を備えたうえで初めて考える力が生きてくるのです。ではその基礎学問、足腰をどのようにして鍛えるか。もちろんいちばん大事なのは授業です。しかし、それだけではなく、校外学習、部活動、生徒たち活動、そうした学校生活のすべてが学びの場であり、家庭や地域での活動もすべて足腰を鍛える学びの場であるという意識が重要です。

 学校というのは、“からだ”を育てる場所であり、“からだ”が育つ場所で、教員と生徒たちともに育つ空間だと私は思っています。ともすれば、教員はおせっかいになりがちで、いろんなことを教えたがります。それはそれで大事なのですが、余計な口出しはぜずに放っておいたほうがいい場合もあります。子どもたちが勝手に育つこともあるのです。子どもたち一人ひとりが自分の力で成長している、そのような場であることを大切に考え、生徒たち教員がともに学べる空間をどのようにつくりあげていくか、それが未来の学校を考える私の課題です。

 中高6年間での教育の成果、それはすぐに明らかになるものではありません。大学進学率はあくまでも一つの側面に過ぎません。昨今、大学などでの研究を含め、短期間で成果を求める風潮が見られます。しかしながら重要な研究の成果が短期間で出るわけがありません。一見、無駄なように見えることのなかにもいろいろな成果があるのです。われわれは教育においても、そうした「無駄」を大事にしたいと考えています。この6年でいろいろな無駄を大事に育った子どもたちが、いま各分野の最先端で活躍している先輩方のように何十年後かに花開いてくれれば、それがわれわれの学びの成果であると考えています。