「中学受験の意義」

溝端 宏光氏


中学受験はすばらしい経験

溝端 宏光氏1

 中学受験の第一の目的は、入学試験に合格し、良い教育を受ける権利を得ることです。しかし、日本には「エリート教育」が根付いていないせいか、幼少期に高度な教育を施すことについて否定的な見方があり、「勉強漬けでかわいそう」といったことばをよく耳にします。しかし、子どもが努力して勉強することは悪いことでしょうか。ピアニストや野球選手をめざして練習に打ち込んでも、「かわいそう」とは言われないのに、必死に勉強していると、なぜか「勉強ばかりして」と言われます。もちろん、勉強を必死でがんばるのはけっして悪いことではありません。芸術やスポーツに打ち込むことと同様、とてもすばらしいことです。
 ただし、勉強に打ち込むあまり、価値観が極端に狭くなって、「勉強だけできればいい」とか、「テストでいい点さえとれればいい」といった考えに陥らないように気をつけなくてはいけません。しかし、これはお子さんより、むしろ大人が気をつけるべきことでしょう。
 というのも、子どもが主役のはずの中学受験で、保護者の方が入れ込み過ぎているケースをよく見かけるからです。たとえば、「ここまで勉強したんだから、◯◯中に受からないと恥ずかしい」とか、「今度のテストで◯点以下の成績なら合格できない」などと、つい言っていないでしょうか。子どもを心配する親心はわかりますが、こういうことばは子どもに無用のプレッシャーを与えるだけです。試合を控えたスポーツ選手に「ここで結果を出さないと競技が続けられなくなる」と声を掛けるコーチはいません。わたしたち大人の役割は、子どもたちが前向きに勉強に取り組めるように接することなのです。

見守ることで自立心を養う

溝端 宏光 氏2

 たとえば、私はこんな授業をすることがあります。演習型の授業で、まず子どもたちに問題を解いてもらい、その後で「解説してほしい問題はありますか」と聞くのです。そのとき、子どもから質問があれば解説しますが、なければ解説を飛ばしてしまいます。これだけを聞くと、「なんて不親切な授業だ」と思われるでしょうが、これは自己解決能力を高める一つの方法です。
 問題を解いている様子を見れば、子どもたちがどこでつまずいているかはだいたいわかります。しかし、本人から聞かれない限り、あえて説明しません。気の弱いお子さんだと、なかなか「これが聞きたい」と言えないので、わからない問題がそのままになってしまうかもしれません。しかし、そのままでは後で自分が困ります。この「困る」ということを実感してもらうのが教育の第一歩です。自分があやふやにしておいた問題は永遠に解けない。すると、「あのとき、きちんと聞いておけばよかった」と思うようになります。実際、このやり方を続けていると、最初は遠慮していた子も勇気を出して聞くようになります。不思議なもので1人が聞くと、次々に質問が出てきます。どこがわからないかを自分で整理し、わからないことはきちんと聞く。子どもの自己解決能力や自立心は「見守る」ことから生まれるのです。

中学受験での親の役割

溝端 宏光氏3

 お子さんの自己解決能力を高めるために大切だと思うポイントを三つお伝えしたいと思います。
 一つは「短期的な結果を求め過ぎない」ことです。もし親が「次のテストで上のクラスに入れなければ受験をやめる」などと言うと、お子さんは1度も失敗が許されない状態になってしまいます。大きなプレッシャーがかかるだけでなく、試行錯誤する気持ちがなくなり、守りに入ってしまいます。
 二つめは「遠回りにも価値がある」ということです。初めての問題にぶつかれば、最初はああでもない、こうでもないと迷います。しかし、その経験を通じて、より効率の良い解き方を見つけられるようになります。遠回りしているのを見ると、わたしたちは、つい「こうやった方がいい」と口を出したくなりますが、迷うことにこそ意味があることを保護者の方にもご理解いただきたいと思います。
 最後は「手を出しすぎないこと」です。教師も保護者の方も同じですが、ふだんは多少の距離を保って見守る。そして必要なときにアドバイスできる環境を作っておくことです。
 サピックスでは、子どもたちの自主性を育み、自分で考え、表現する力を養っていくことに主眼を置いて教育に取り組んできました。せっかく中学受験にチャレンジするなら「結果さえ出ればよい」というのではなく、将来につながる学習姿勢を身につけておいたほうが絶対にいいと考えるからです。
 難関校をめざす受験勉強は大変ですが、努力して難関を突破するという経験には非常に価値があります。これから中学受験をめざすなら、お子さんが存分に力が発揮できるよう、ぜひ「ほど良い距離感」で見守ってあげていただければと思います。