次世代の子育てと教育を考えるシンポジウム

慶應義塾普通部 部長 山﨑 一郎 先生

山﨑 一郎 先生1
慶應義塾普通部
部長
山﨑 一郎 先生

 慶應一貫教育の総論については冨田教授が話してくださったので、私からは各論として普通部を紹介させていただきたいと思います。創立者の福澤諭吉先生の生涯は66年。そのちょうど真ん中で明治維新を迎えることとなりました。すなわち、人生の前半が幕末、後半が文明開化という時代を生きられたわけです。そんな先生が、慶應義塾の教育理念として掲げたのが「全世界の先導者」でした。今から158年前に6畳と15畳のわずか二間の蘭学塾として始まった慶應義塾は、いまでは4万人の塾生を抱える規模となりましたが、この建学の精神は各校に共通したものであります。社会の先導者になるためにはまず、学ぶことで知識を増やすことです。そして、仕事を持って生計を立て、人と交わりながら知識を広げることで、やがては国や社会のための貢献がかないます。普通部では、その人格の土台作りをする場として、学びと人間交際(じんかんこうさい)を深める取り組みを用意し、全うしてきました。「人間」と書いて、「じんかん」と読みますが、これは社会(Society)を意味しています。

 普通部生には、日頃から校名の由来について話しています。義塾に大学部を設置する際に、福澤塾以来の課程を普通部と命名しました。そのため、本校では「大学付属」という呼称を付けておりません。義塾の中学校では唯一の男子校であり、高校とは別学となっています。福澤先生は、学問の本質について「専(もっぱ)ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり」との言葉を残しております。「普通とは普(あまね)く通ずる」ことであり、世間に広く認められることこそ学ぶべきと、「飯を炊き風呂の火を焚くも学問なり」と具体的に示されたそうです。そして、実社会で活用されることこそ「学問、サイヤンス(科学)だ」と説かれました。

 そのため普通部では、身近にある基本的なものを学ぶことに、こだわっております。授業では基本的な仕組み、原理原則の理解、観察や実験などを徹底的に学ばせます。そして、それらを「言葉で理解して、他の人に言葉で伝える」ための能力も鍛えます。たとえば、理科では実験や観察をほぼ毎週、2時間続きで行います。そして毎回、実験報告書を課します。この理科の報告書や国語の作文は、正直、新入生をかなり苦しめます。さらに、受験に必要な主要教科のみを重視することなく、芸術教科や体育の授業もまんべんなく学んでもらいます。入試に面接や体育実技を設けているのもその姿勢の現れといえます。

 そして、自ら学ぶことも目標に掲げています。それを体現する場が今年で88回目を迎える労作展です。「高尚の理は卑近の所にあり」との考えから、テーマは自分の身近なことから設定して、作業の進め方も本人任せです。ひたすら時間を使い、自分で答えを見つけなくてはなりません。教員はヒントを与えても結論は言いません。このため、正直、残念な作品も並びます……。先輩たちが作った道筋を見ているので、生半可な取り組みでは評価されないことも普通部生たちはわかっています。「(良い意味で)日本一地味な文化祭」と言った卒業生もいますが、男子特有のマニアックさを堂々と表現できる場であり、これを見て本校を志望する受験生が多い行事でもあります。将来の専門性に結び付いた者にとっても、異なる分野に進む者にとっても、労作展で味わった達成感が、彼らの伸びしろとなることに違いはありません。

 人間交際としては、部活動も盛んで、運動部会が22、文化部会が18あります。また、宿泊行事が多いのも特徴で、多くの生徒が参加を希望してくれます。また、1998年の普通部百年を機に、「目路(めじ)はるか教室」という卒業生による授業を始めました。実際に社会で活躍されている先輩方は、まさに社会の先導者であります。30コースが開講される「コース別授業」のほとんどが、各先輩たちの活躍する現場で行われるため、20年後、30年後の自分の姿を思い描く貴重な機会になっていると思います。

 10~20年後の社会では、現在日本の労働人口の約49%が就いている職業において、人工知能やロボットが代替可能である、との推計結果で示される時代です。その新しい時代に成功するのは、身近な関心・問題意識を自ら持てる、そして長期的にやり続けることができる人なのではないでしょうか。普通部の学びはそこにあります。

山﨑 一郎 先生

 2015年に竣工した新本校舎は、HR教室を従来の1.3倍の広さにして、男子にとって居心地の良い場所となりました。また、数十台の端末を一度に接続できるWi-Fi環境を整えた普通教室も12室新設するなど、新しい教育の可能性も求めています。各学年に240名の能力あふれる個性的な男子が集う学校です。当然ながら、個性のぶつかり合いはありますが、周囲から刺激を受けるからこそ、一人ひとりが成長していけるのです。社会を先導する伸びしろたっぷりの人材の育成、その土台づくりの3年間。普通部の教員は、たかが3年、されど3年の気概で臨んでいます。