TOPIC-4

ビジネスを学ぶため外資系コンサルに就職

就職については、どのように考えていたのですか。

木村 研究者の道ではないと自覚したタイミングで、大好きなプロ野球界に再編問題が起こります。近鉄バファローズがなくなって、ライブドアが手を挙げるも楽天になり、ダイエーホークスがソフトバンクに売却される…といった動きを眺めているうちに、野球はそこにずっと存在しているものではなく、ダイナミックに動くビジネスだということに初めて気づいたのです。研究に向かないなら、好きな領域で自分の能力を活かす道を考えようと切り替えました。

就職活動はどのように進めたのですか。

木村 修士1年で就職活動が始まると、同級生の多くが研究室推薦のような形で、航空産業や重工業、自動車産業などのメーカーに次々と就職が決まっていきました。しかしそうしたメーカー系にはいっさいエントリーせず、コンサル系の企業を中心に回ることにしました。

なぜ、コンサル業界だったのですか。

木村 プロ野球ビジネスに実際に進めるかどうは別として、自分が変えてみたい業界に進むチャンスがある仕事は何かと考え始めたとき、コンサルという業種があることを知ったからです。そういう業界にいる人や、詳しい人たちに話を聞くうちに、外資系コンサルであれば、社会人としてのスキルを短期間に身につけられるうえ、日本の企業と違って「折りをみて転職すること」に対してネガティブなイメージがないことが分かってきたため、外資系コンサル中心に就活をしました。ちなみに当時ある球団にも「球団社長になりたい」と書いたエントリーシートを送りましたが、返事は返ってきませんでした(笑)。本人は真剣でしたが、ふざけて書いたと思われたのでしょう。

TOPIC-5

自動車事故をきっかけにプロ野球球団に転職

新社長就任会見で南場智子オーナーと握手する木村洋太氏
(提供:横浜DeNA ベイスターズ)

コンサル時代はどんな仕事をしていましたか。

木村 入社後は、かつらメーカーや、自動車やバイクなどの移動機械、クレジット会社、生命保険などの業界を経験して、世の中でビジネスがどう展開されているのか、おおよそ理解できるようになりました。3年目を過ぎたあたりから、同期や1~2年上の先輩たちが次々に転職していくため、自分も面白そうな業界があったら…と考え始めましたが、内心では丸6年はいるだろうと思っていました。丸6年で退職金が2倍になる社内規約があったからです。入社5年目に入ると、転職のエージェントに登録したり、周辺の業界の動向を探ったりし始めました。楽天ゴールデンイーグルスの立ち上げに参画し、ビズリーチを興した南壮一郎さんにもお話を伺う機会があり、プロ野球業界を視野に入れながらも、音楽やエンタメなどのショービジネス業界も面白そうだなと考えていました。

それでも5年で転職しています。

木村 その5年目の終わりが近い2012年の正月、スノボの帰りに友人たちと一緒に乗っていた車が、関越道で横風を受けて横転する事故が起きました。助手席にいた私の真横に中央分離帯がぶつかり、一瞬「死んだかも」と思いました。幸い全員が軽い怪我ですみましたが、そのとき「いつ死ぬかわからないから、本当に自分のやりたいことをやらなければ」との思いを強くしました。すると、同年1月の半ばにDeNAの求人が日経新聞の2面に掲載されたのです。「これだ!」と、すぐに応募し、3月5日付けで入社することになりました。

事故がなくても求人広告を見ていた可能性はありますね。

木村 見たかもしれませんが、応募していたかどうかはわかりません。退職金もあと1年で2倍になりますし、転職すれば年収は半額程度になってしまう。あの事故がなければ転職を決断できなかったかもしれません。ですから、大きな転機になったのは間違いないと思います。

TOPIC-6

世界一のチームにし野球界全体を牽引したい

DeNAにはどのような思いで転職されたのですか。

木村 野球をビジネスとして考え始めた段階から、ファンとして特定の球団を応援することよりも、野球界全体を良くしたいという気持ちの方が強くなっていました。DeNAは生まれ育った横浜のチームでもありますし、自分のなかでは何の躊躇もなくスーッと入っていくことができました。

どのようなお仕事をなさってきたのですか。

木村 ファンクラブの会員を増やしたり、オンラインコミュニケーションを担当したりする部署を担当したり、プロモーションやチケットを担当する部署などを担当したりしながら、ずっと売上をつくる部門を歩いてきました。おかげさまで、コロナ禍までは右肩上がりで売上を伸ばすことができました。

球団トップとしての将来ビジョンを教えてください。

木村 20年後に「世界一のスポーツチーム」になることを目指して、本気で動き始めています。かつての日本のプロ野球は親会社の広告塔として赤字経営でも平気でしたが、今や独立採算へと舵を切りつつあります。東日本大震災やコロナ禍を経験したことで分かったように、プロ野球は不要不急という区分けをされる存在です。しかし、人々が豊かに生きていくためには絶対に必要だとの自負はあります。ファンの願いは応援するチームがずっと存続することですし、そのためには財政基盤をしっかり整える必要があります。選手を育成して強いチームになるという好循環を作り出し、それが事業売上にも貢献し、その結果としてチームへの投資が増えていくというサイクルが、健全に回っているような組織を作っていきたいと考えています。

TOPIC-7

同じ方向を向いて力を合わせることが大切

中高時代の学びが、現在役立っていることはありますか。

木村 筑駒では、文化祭などのイベントになると全員が力を合わせてものすごい力を発揮するのに、普段はそれぞれが好き勝手なことをしています。ここで、同じ方向を向いてみんなの力を合わせると、それぞれの力を足したものよりずっと大きな力を発揮するということを学びました。現在、企業のトップとして、様々な部署のベクトルを一致させようとしているのは、この時の経験が影響しているのかもしれません。

新中1生に、何かメッセージをいただけますか。

木村 自分や友だちの良いところと悪いところを分かったうえで、全体としていい状態を作ろうと努力することが大切だと思います。自分の得意な部分はこだわってやるべきですが、自分の欠点まで無理して補おうとしなくても、もしかしたら欠点の部分は誰かに助けを求めた方がいいのではないかといったことも学ぶ時間にしてほしいと思います。

保護者に一言お願いします。

木村 テストの点数とか、スポーツの成績といった一面的なものに捕らわれすぎないでほしいですね。良いところは伸ばしてあげつつ、できないところをどうクリアしていけばいいか、自分の力だけではない解決の仕方みたいな部分を示唆していただければと思います。

(株)横浜DeNAベイスターズ
代表取締役社長
木村 洋太(きむら・ようた)さん

1982年神奈川県生まれ。筑波大学附属駒場高校から東京大学理科一類に進学。2007年同大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻を修了し、米系経営戦略コンサルティングファームBain and Company東京支社に入社。2012年(株)横浜DeNAベイスターズに入社。事業本部チケット営業部長、経営戦略・IT戦略部長、執行役員事業本部長、取締役副社長等を歴任し、2021年4月より現職。