今、振り返る中高6年間

個性的な友人たちに刺激を受けた6年間

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―中学受験を意識されたのは、いつ頃からですか。

 小学校4年生から地元の学習塾に通い始めました。とはいえ、最初から中学受験をめざすためという意識があったわけではありません。小学校で習うことプラスアルファの知識を教えてもらえることを、純粋に楽しく感じていました。子どもって、難しいことも楽しく感じられる時期ですから……。難問が解ける喜びを感じて、だんだん勉強が楽しくなっていった感じです。波はありましたが成績も伸びてきて、これなら私立中学受験に挑戦できるのではないかという意識が生まれていきました。

―女子学院中学を志望された理由は何でしょうか。

 志望校を決める前に、塾の先生の勧めで、いくつかの中学の文化祭を見学しました。その中で、最も自由な校風だったのが女子学院でした。制服もないし、生徒が皆、溌剌としていたからです。女子校の割に雑然とした印象が無きにしもあらずでしたが、伸び伸びした雰囲気が自分に合っていると思いました。

―実際に入学してみての印象はいかがでしたか。

 女子学院は「自立した人間になりなさい」ということを教育方針にしていました。入学説明会の時にさっそく親もそう伝えられたそうですし、折に触れて先生方からも指導された気がします。中学生でできることは限られていますが、たとえば、入学直後に、体育袋と靴袋を各自で用意するよう言われ、母親に頼まずに自分で作るんだ、と一生懸命縫い、「ちょっと自立できたかも?」とニンマリしたのを覚えています。自分で責任を持っていろんなことができる人になろうということは、6年間を通してずっと考え続けていたことでもあります。その意識は大学入学後も、社会人になってからも続き、私のいわば「生き方」を方向づけてくれたように感じています。

―なるほど。それが女子学院の教育の特色でもありますね。

 また、中学時代は「大人社会の縮図」のような面が出てくる頃です。空気を読んで、皆に合わせないといけないというプレッシャーを感じる時期でしょう。けれども、今振り返ると、女子学院は、どんなタイプの子どもにも居場所がある「同調圧力」のない学校だったことに気づきます。周りに合わせるために自分がやりたいことを我慢しなければならなかった経験はほとんどありません。実際、マンガばかり描いている子もいれば、難しい本に没頭している子も、おしゃれに目覚めたグループもいました。同級生の一人で、現在、漫画家・アーティストなど幅広く活躍している辛酸なめ子さんは、自発的に壁新聞を発行していました。とてもユニークでオリジナリティあふれる内容に驚いたことを覚えています。しかも、たとえ自分とは異なるものに興味を抱いている人であっても、それを個性としてお互いに認め合おうという雰囲気がありました。自分なりの価値観が形成される思春期の多感な時期に、そうした自分とは異質の多様な個性に出会えたことは、私にとって大きな財産になっています。当時の仲間は、大人になってからも本音で語り合える、かけがえのない存在です。皆さんにもぜひ、中学・高校時代の友人関係を大切にしてほしいと思います。

―クラブ活動はどんなことをされたのですか。

 中学、高校と「ダンス班」に所属しました。創作ダンスの運動部で、自分たちでテーマを決めて、曲を選び、振り付けを工夫して、文化祭やコンクールなどで発表しました。小学校までは先輩、後輩の概念が希薄ですから、私にとっては、初めてその意識を持つ場だったと言えます。最初は、初めて経験する「上下関係」に緊張したりもしましたが、これはとても有意義な経験でした。もちろん、先輩、後輩の関係が厳しすぎて硬直化するのは問題ですが、社会に出れば、一定の人間関係のルールを体得していなければ、スムーズに仕事を進めていくのは困難です。クラブ活動を通して、いわゆる「社会性」を身につけられたことは、とても役に立っています。

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中学・高校時代の学びに無駄なものなんて一切ない

─授業でとくに印象に残っているものはありますか。

 高校生の時に、原稿用紙30枚以上で「戦争体験の聞き書き」をまとめるという課題を与えられたことがあります。中には、100枚以上、それも小説仕立てで書いてきた同級生もいました。私は、祖母から、戦火の中、食料難に苦しみながら子育てをした生々しい体験談を聞いてまとめました。それまで家族に戦争中の苦労話を聞く機会はなかっただけに、新鮮な経験でした。

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─とてもユニークな課題ですね。

 この課題を通して、教科書で習うこと以外の世界に関心を持つ契機になったように思います。世の中には私の知らない多様な世界があり、様々な人の経験、思い、蓄積がある。その一端に触れたことが、その後、ニュースキャスターを志向するきっかけになったのかもしれません。

─中学・高校時代に学んだことで、現在に役立っていることは何でしょうか。

 当時学んだことで無駄なものは、実はひとつもありません。確かに、中学・高校時代は「今、勉強していることが、将来、何の役に立つのだろう」と疑問を抱きがちな時期でもあります。でも、そんなことは考えない方がいい。そもそも、役に立つことだけ勉強するというのではつまらないでしょう。どんなことでも貪欲に学んでほしいと思います。

─自分の将来の職業や、受験に関係ない教科でも勉強した方がいいということですか。

 そう思います。体育も美術も音楽も大切にする。たくさんの本も読む。それが将来かならず何かにつながり、人生の幅を広げてくれます。キャンバスが大きければ大きいほど、後からいろんな絵が描けるわけです。実は私は、中学生の頃は理科の先生になりたいと考えていました。でもだからといって、当時、理数系の科目ばかり勉強していたら、今の私はありません。あまりにも早い段階で、自分の将来像を固定的に決める必要はないでしょう。様々なことに興味・関心を広げていく中で、自分では予想もしていなかった方向に適性が見つかることだって少なくないのです。自分の世界、可能性を広げるためにも、いろんなことにチャレンジしてほしいと思います。

─そのほか、中学、高校時代の学びで、とくに印象に残っていることはありますか。

 先ほど話したように、女子学院には多彩な個性の持ち主が集まっていて、友達からは常に刺激を受けていました。そうした多様な個性と分け隔てなく接する環境に身を置いたことで、自分とは考え方が違う相手でも尊重する感覚が養われていったように感じています。その感覚は、ニュースキャスターとして活動する上でも大切な素養になっています。この仕事は、本当に様々な境遇の方にお会いしますから。

─逆に、当時、もっとこんなことをやっておけばよかったと感じていらっしゃることはありますか。

 英語はもっと勉強しておけばよかったですね。国際化が進行する中で、英語力は必須のツールになっていますから、皆さんも意識的に学んでおいて、間違いはありません。それから、私はよく言えばオールラウンダーで、とくに苦手な分野もないかわりに、「これだけは譲れない」と誇れるような得意分野を持っていません。それが私の個性でもあるかもしれませんが、少し後悔もしています。せっかく6年間のゆとりのある時間を過ごせるのですから、皆さんにはぜひ、好きなことを見つけて、それに没頭する機会も持ってほしいと願っています。

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保護者は子どもがアクションを起こした時だけそっと背中を押してほしい

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―最後に、保護者の方々に向けてメッセージをお願いします。

 私は両親から「勉強しなさい」といった指示めいたことを言われたことはほとんどありませんでした。ただし、完全な放任主義だったわけではなく、私がやりたいと希望したことについては、全面的に協力してくれました。たとえば、学校のカリキュラムに組み込まれていなかったスキーに興味を持った時、いろいろ調べて、YMCAのスキーキャンプに参加できるように手配してくれました。中学生では、自分のやりたいことを実現するにはどうしたらいいのか、分からないことがまだまだあります。保護者の方々たちには、子どもに過剰な期待をかけて負担を感じさせることなく、子どもが何かをやりたいとアクションを起こしそうになった時だけ、そっと背中を押して世界を広げる手伝いをしてあげてほしいですね。中学、高校時代の子どもには、親御さんのそんな接し方が一番うれしいのではないでしょうか。

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【編集こぼれ話】

 いったん取材が終了した後、膳場さんが再び駆け寄ってこられて、「これだけは強調してくださいね」とおっしゃったのが、「友人関係を大切にしてほしい」ということでした。「中学、高校の思春期は、後から思い返すと失敗も多く、恥ずかしいことも少なくないのですが、それだけに、その時代を一緒に過ごした友だちは、一生の友だちになります。今でも本音で話せるたくさんの友人に出会うことができて、本当に恵まれた学校生活でした」と語る膳場さん。温かい人柄が感じられる一コマでした。

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