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ニックネーム:  【先輩ママ・パパ】 カプチーノ

カプチーノさんの日記

2009年05月20日09:41

語りつぐ戦争

朝日新聞18日の「声」欄、「語りつぐ戦争」を読みました。
実際に戦争を体験されり、それを聞いた方からの貴重な投書です。

ところで先日の母の日、実家の両親を誘って我が家で食事をしました。
毎年恒例、我が家がしている少ない親孝行の1つです。

何の話からか、子供たちと両親は戦争の話題になりました。
防空壕に隠れた事、疎開した事、玉音放送を覚えている事、
食べる物がなくて祖母が着物を疎開先で物々交換していたこと・・・
私も初めて聞くような体験談でした。

母の兄が戦地から無事に戻った時の話もその1つ。
祖母は軍服を着た伯父を見て、玄関でおいおいと泣いたそうです。
私は昨年亡くなったその伯父が戦争に行った事さえ知りませんでした。
子供たちは真剣に聞いていました・・・
でも、
「すっげぇー!!ホントに戦争知ってるんだ〜!」 
(↑これ、なんと下品な「娘」の反応です、汗・・・)
「え、じゃ、湾岸戦争も知ってるの?」
(↑何もかも全部が昔?という感覚の息子、汗・・・
 確かに君の生まれる前だったけど、邪馬台国から総復習しくれー!)
とんでもない反応もしばしばでしたが・・・
教科書や参考書に書いてある事を、
祖父母が実際に体験している事にとても驚いていました。

幸い私の両親は健在ですが、いずれこんな話も聞けなくなるのです。
生の声で実体験を聞くのは貴重なこと。
私も両親の体験をこの歳になって聞くとは思いませんでした。

新聞の体験談、読みながら涙がでます・・・
こうして平和に暮らしている事だけでも、どんなに幸福なことか。
次は6月22日だそうです、必ず読むつもりです。

さて来月は父の日、
また両親に貴重な話を聞こうと、今から楽しみにしています。

 

コメント

2009年05月20日 20:59 【先輩ママ・パパ】 MOON

私の母は終戦時は幼かったとのことでした。
亡くなった母方の祖父はお役人で東京を離れるわけには
いかなかったため、祖母と母たち兄弟は下関の親戚の家に
疎開していたとのこと。
田舎はのんびりしていたようです。

私は小さい頃から、疎開先での生活の話や、まだ東京にいた時に空襲警報が鳴って、防空壕に入るとき
お茶の缶に炒ったお米と飲み物を持って行ったこと。
二階から遠くで火事になっているのを兄弟でずっと見ていたこと。
ろうそく1本で本を読んでいたこと。
戦後の小学校に充分な教科書はなく、
数人で1冊だったことなどなど、よく母から聞いて育ちました。

学校時代の聖書の先生も当時おばあちゃま先生で、
戦時中の話をたくさんしてくださいました。

出来るだけ私も母や先生に聞いたことを子どもたちに話しているつもりですが、いま一つ私が子ども心に強く受け止めたのとは違って、軽く聞かれてしまっています。

平和である時代に暮らしていることに感謝しながら、
カプチーノさんのお宅のように祖父母に戦争の話をしてもらうのって大切かもしれませんね。

 
2009年05月20日 22:38 【先輩ママ・パパ】 カプチーノ

MOONさん、こんばんは。

お母様から多くの事を聞いていらっしゃるんですね。
貴重なお話をたくさん覚えている事は宝ですね。
私の母も幼かったので恐かった事や空腹だった事などは話してくれましたが、
余り詳しい話ではなかったと思います。
でも、もしかしたら私はたくさん聞いていたのに、
すーっかり忘れているのかもしれません。
MOONさんの学校では先生からそんなお話を聞く機会もあったのですね。
聖書の時間のお話だなんて、宗教系の学校ならではの魅力ですね。

義母は私の母より7歳上なのですが、とても物を大事にします。
(大事にし過ぎ?とさえ思いますが・・・)
何でも保管、何か遭った時の為に大事に大事にしています。
物置きはパンパンです〜
「これでは物が片づかない!!」
と、息子である夫に盛んに注意されていますが(笑)・・・
これはこの世代の「美学」なんでしょうね。
広告紙の裏をメモ用紙にする義母を見習って、
我が家でも計算用紙にしています。
最近はリサイクルが定着しつつありますが、大事な事ですよね。

戦後の高度成長期にギンギンに働いていた父に不自由なく育てられ、
私立中高を経てバブル時代に女子大生やOLだった私、
恥ずかしながら主婦になってから気付く事も多かったです。
「もったいない」・・・この美学は子供たちにも定着させたいものです。

MOONさんのお母様の貴重なお話、
是非お子様達にも聞くチャンスがあるといいですね!!

 
2009年05月20日 22:45 【先輩ママ・パパ】 ぼの

カプチーノさん、MOONさん こんばんは

本当に語り継いでいかなければいけませんね。

私の父は佐賀で原爆を見ました。
浦上天主堂近くに家があったのですが
たまたま投下の時は佐賀に居たそうです。
でもあの原爆きのこ雲は遠く離れた佐賀でもくっきり見えたそうです。
長崎にいた兄姉は皆被爆しました。
そして戦後、姉の授かった赤ちゃんは原爆の影響を受けて産まれたそうです。
私も父の郷里で、今は亡き従姉と会ったことがあります。
生まれてから亡くなるまで一度も歩くことなく、ほとんど家の外に出ることなく過ごされたようです。

現在の子どもたちに伝えることの難しさを感じますが、私たちは伝える義務があることを意識しないといけませんね。

 
2009年05月21日 00:27 【先輩ママ・パパ】 ビアマグ

本当にそうです。 
 私の父は昭和8年生まれです。
 東京生まれの東京育ちでしたが、仕事で、親戚のつてを頼った父親の転職で小学校に上がったあとすぐに広島に引っ越しました。

 そして、5年生の2月に広島市内から、岡山に近い竹原市というところに再度ひっこしをして、その6年生の8月、あの原爆が広島市内に落ちたのでした。わずか半年後のできごとです。

 同級生はたくさんなくなり、親戚も大勢が犠牲になりました。

 祖父は自分の兄弟の消息を尋ねるため、一人で何日もかかって市内にたどり着き、あちこちを訪ねて歩きまわったため、残留していた放射能を浴びたということで被爆者手帳がでていました。

 祖父はそれでも90歳過ぎまで生きました。しかし祖父には今でも消息のわからない兄弟姉妹がいるはずです。

 これらの話は父からの伝聞です。父は子どもだったし、竹原は広島市内からは遠く離れていたので父には直接の被害はないのですが、6年生で友達や先生をいっぺんに失った悲しみは一生忘れないそうです。


 「夕凪の国 桜の街」という映画、ご覧になりましたか。佐々部清という才能ある監督が撮った映画です。ぜひご覧になっていただきたいと思います。
 堺正章さんがなかなかの味を出していますし、二部構成になっていて過去から現代につながる戦争の記憶がとてもよく描けていると思います。


 ぼのさんのお父様は佐賀にいらしたのですね。
 その時、人々がどこでどうしていたかによって運命が分かれたのも事実ですが、なくなった方々が運が悪かったということではなく、戦争の意味というものについて考えることは忘れてはいけないと思います。
 伝聞でも、伝聞の伝聞でも、私たち世代が伝えていかなかったら、その下には伝わらないのですから。

 
2009年05月21日 21:54 【先輩ママ・パパ】 みこ

私自身も、それほど戦争体験を聞く機会はないまま来てしまいました。

子ども達も、映画や劇団四季のミュージカルで見聞きした程度です。

戦争を体験した方が肉声で語ってくださるお話を聞かせていただいて、涙が流れるほどの感覚を味わう必要があるように思います。

子どもだけでなく、私達のように戦争を知らない親世代も。

 
2009年05月21日 22:39 【先輩ママ・パパ】 カプチーノ

ぼのさん こんばんは。

佐賀から長崎の原爆を見る・・・それほど大きな物だったのですね。
お父様の貴重な体験談、ぼのさんはしっかり受け止めて来ていますね。
それは、そのままお子様達にも伝わっているのでしょう。
他人の経験よりも、自分の縁者の話は深く残ると思います。

ぼのさんは、私よりもたくさん伝える事がありますね。
是非、ずっと伝えていって下さいね、将来のお孫さんにもね!

 
2009年05月21日 22:57 【先輩ママ・パパ】 カプチーノ

ビアマグさん こんばんは。

お父様、東京から広島へ引っ越しなさった後の悲劇・・・
運命は残酷ですね。
私の父も同じ8年生まれですが、
埼玉の田舎で物が無いながらも、命の心配はなかった様です。
お父様から直接聞いたお話は貴重ですね。
辛い思いをなさった方ほど、語れる事が多いのですよね・・・
伝聞の伝聞でも、そのまた伝聞でも、ずっと伝えて行って欲しいです。

「夕凪の国 桜の街」の漫画は読みました。
そういえば映画化していましたね、数年前の夏だったでしょうか。
今度観たいと思います。
アメリカ映画ではありますが、
「プライベートライアン」など、戦争物は国を超えて涙が出ます。
息子を持ったせいか、
戦場で母を呼びながら死んでいくシーンなど、もうボロボロです。

 
2009年05月21日 23:05 【先輩ママ・パパ】 カプチーノ

みこさん こんばんは。

私は子供たちと両親の会話を聞き、
こんな経験をもっとして欲しいと、初めて思いました。
今、未だ語れるお年寄りのお話を伺う機会があれば、
子供たちを連れて一緒に聞きに行きたいです。
広島、長崎、沖縄などにも、必ずいつか行きたいです。

そして今になって自分自身がもっともっと、
祖父母たちの話を沢山聞いておけば良かったと思います。
子どもの頃には、そんな事を全然思いもしなかったのに・・・

 
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