明日からカナダのバンクーバで冬のオリンピックが始まる。
うちの夫はスポーツオタクなので、オリンピックにはうるさい。出場選手名鑑みたいなものを買ってきたり、時差にも負けずに応援する。
バルセロナオリンピックの時などは、「この平泳ぎの岩崎って子は、長崎宏子のタイムを予選で何秒上回っているから、やるかもしれないよ。」などといって、目覚ましを合わせ真夜中に私をたたき起こした。
生放送で真剣に応援して本当に金を取ったときにはかなり感動した。「スポーツは生に限る。」と言い続けている。
娘はその92年のバルセロナオリンピックの開催中に生まれた。マラソンの谷口が「こけちゃいました。」と言っていたのを真夜中の病院のベッドの上で見た。(森下選手が銀メダル)
息子は94年の冬に生まれた。これはリレハンメルの時。前回アルベールビルからわずか2年しか離れていない年に開催された。
夜中に起きる赤ちゃんをあやしながら生でいろいろと楽しんだ。河野、荻原、阿部が複合で金メダル。雪や氷の上のいろいろな競技に、子育ての夜中の孤独が癒されたものである。
98年長野オリンピックは現地に2種目見に行った。木村公宣の出た男子回転(スキースラローム)と、ショートトラックスケートである。目の前で西谷岳文選手が金メダルをとった。
長野オリンピックのチケットは、実はあとからの追加販売で入手したものである。見るのは好きだが、チケット販売が複雑だったこともあり、特に買ってはいなかったのだが、海外向けに販売したもののうち残ったものを国内に向けて追加販売することがわかり、買うことにしたのである。
珍しく東京に大雪が降った夜、友人と交替でチケットぴあに一晩徹夜して外に並び、欲しかった2種目が入手できた。
男子回転などという競技を見るのははじめてだったが、こんな急なところを滑るの?という感じだった。
ゴール地点で見るより横から見たかった私たちは、普通の長靴でコース横の大雪の斜面を持参した折りたたみ椅子を担いで登るはめになった。(スキー靴の方がよかった。)スキー板無しでスキー場を歩くのがこんなに大変だとは。死ぬかと思った。
回転のポールの周りは競技が進むとどんどん削れてしまうのを、バケツで水をまいて雪を補充してスコップでガンガン固めて行くというのをはじめて知った。
いわゆるアイスバーンで、スキーなのにスケートみたいな感じの雪面で、本当に恐ろしいと思った。音もすごいし速くてびっくり。
スイスのおみやげで弟にもらったカウベル(本当は観賞用)を鳴らして各国の選手を応援した。
スタート地点にもいってみたら、なんとトイレに行こうと出てきた木村公宣選手に声をかけることができた。夢のよう。
ショートトラックスケートは席が最前列だった。後ろの席のおじさんが予選のタイムがどうの、とやたらに詳しいと思ったら、そこはなんと選手の家族席だった。周りの外国人のお客様も全員選手の家族。売れ残りを返した席って言ったって、こんな席を普通に売っちゃうの?
そのやたらに詳しいおじさんが金メダリスト西谷選手のお父様だった。(金メダルをとった時、席の周りにマスコミが殺到して大変だった。)
自慢いっぱいみたいになって大変申し訳ないのだが、やっぱり一生の思い出である。お許しを。
日本人選手があちこち活躍したあれからずいぶん経ち、冬季オリンピックのメダルは、前回は荒川静香選手の金1個と少しさびしい。
明日開会式の前にやるジャンプとか、スケートとかスキーとか、見所満載のはず。またしても眠れない半月がやってくる。
自分では絶対に出来ない競技や、同じことしてるとは思えない競技がいっぱい。
今からとても楽しみだ。
カテゴリ名: ひとりごと