誰のエッセイだったか忘れてしまったが、たぶん糸井重里さんではなかったかと思う。
彼が初めて事業を立ち上げようとした頃の話。
開業にあたり、あちこちの銀行に頭を下げてお金を貸してくれるように回ってみたが、どこも相手にしてくれず、どうしたものかと原宿をさまよっていたら、駅前でティッシュを配っていた銀行員がいたので、つい、「このあたりに事務所を借りて会社を始めようと思うんですけど、どこもお金を貸してくれなくて・・・」と話したら、その人が実は支店長さんで、「ちょっといらっしゃい」と、銀行ではじめから全部話を聞いてくれ、お金も貸してくれたので、以来ずっと第一勧銀(当時)とお付き合いしている、という話。その後いろいろな銀行がやってきた(彼を門前払いにしたところも含めて)が、ずっと一勧にお世話になっている・・・。
今テニス仲間には定年を迎えたもと銀行員さんもいるのだが、昔の銀行の支店長は、中小企業の社長さんと何度も会って、その人物の心意気をみて融資を決めたりしたのだという話を聞いたことがある。
人物を見抜くプロの目というものを支店長も持っていたし、この人の将来性にかけてみようとか、この会社を育ててみようとか、今よりもっと深い付き合いというものがそこにはあったというのだ。一蓮托生というやつだ。
そうやって融資を受けた会社の多くはちゃんと事業を発展させて、銀行のいい顧客になっている・・・。
ところがバブル期には、担保至上主義になり、社長の考えや将来性ではなく、とにかく担保をとればどんどんお金を貸してしまったのだそう。
不動産にだけは将来性があると思われていたあの時代のおろかな皮算用。
その結果は御存知の通り。焦げ付きを抱えて公的資金を投入されたり、外資の力を借りたりして、銀行は整理統合を繰り返すことになった。
一時、銀行に飛び込み営業というのをやっていたことがある。事務所の周り百数十行くらいにいきなり行って業務説明をする。(当時の事務所は神田で、日銀があるので全国各地の銀行の支店が近くにあった。)
殆どは門前払い。
たま~に話を聞いてくれる担当がいて、せっせと日参しているうちに、少しずつ仕事をくれたりする。
しかしここからが実は修羅場だったりする。「貸金庫を借りてくれませんか?」「定期預金のキャンペーン中です。まとまったお金を積んでくれませんか?」「クレジットカードに入ってください。」となる。
貸金庫は月々数万円かかる。これを大小2個同じ銀行に借りさせられていた事があったなあ。中身は空気。
銀行のいう「まとまったお金」というのはいったいいくらなんだろう。100万円、1,000万円、1億円・・・。
そんなものがあったら飛び込み営業なんかしてないと思う。
クレジットカードは言われるままにあちこち入り過ぎて、最後は、(付帯でついている)キャッシング限度額合計を払えないであろう、という烙印を押されて夫婦揃って審査に落ちたことがある。使わないから年会費の払い損みたいなものだった。
とにかく千円でも口座を開設するところから営業が始まるので一時、片手でつかめないほどあちこちの銀行の通帳があった。
千円とか一万円とかしか入っていなくても、これは事業用なので、いちいち帳簿つけが必要で、これまた振替をチェックしたりもしなくてはならず、税理士が泣いていた。
事業用の借金については、バブル後の貸しはがしというのにもあった。これは事務所一番のピンチだったかもしれない。
とにかくあちらは焦げる前に債権を回収しようと必死。こちらも今引き上げられたらアウトと必死。
月々の返済額を変更してしていっぱいいっぱいまで返済することで合意。
合意って言ったってそれから地獄なのはこちらである。
「一度でも滞ったら全部引き上げますから。」っていうのは脅迫以外のなにものでもない。
そんな訳でまたそれから10年以上たち、今は使わない銀行の通帳は全部閉めてしがらみも断ち切り、すっきりしたものである。つまり銀行の仕事はしていない。
よく「銀行の仕事しないでよく食べていけるね。」と言われるが、もうそんなものはゴメンである。
私もはじめはとても信じられなかったが、請求書を出して、最も支払いの悪い業種は銀行だ。踏み倒しなんて日常茶飯事。
さて、今年ここにきて、また営業する必要が出てきたわけだが、一体どこを回ればいのだろう。
営業する先が分からないなんてことがあるのかと思うだろうが、今本当にそんな感じ。
何もしないのは自滅への道なのだが、はてどうしたものやら。
カテゴリ名: ひとりごと
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