昔の話で恐縮だが、私は高校の頃、図書委員をしていた。
今ではとても信じられないが、私はいわゆるブンガク少女だった。図書室の本、年間貸し出し冊数第何位とかの常連で、勉強なんか大してしていなかったように思う。
おかげで国語の成績は自慢ではないがトップだった。目をつぶっていても作者の気持ちや主人公の気持ちが手に取るように分かり、解釈の問題は得点源だと思っていた。
漢字が書けない、などの抜けはあっても、正直楽勝、という感じがあった。(こういうのを傲慢というのだろう。)
その代わり、自慢ではないが数学はいつも学年最下位層だった。本当に学年で最下位というのもあったはず。これは相当ひどい。100点満点のテストの点数がヒトケタだったのだから。
数学が出来なくて、親が2回呼び出されている。
面談で「お母さんごめん。」と思いながら、私は小さくなっていた。しかし、「あの、どうしてうちの娘はこんなに数学だけが出来ないんでしょうか。」と聞く母親の横で、私はうつむきながら、さっきまで読んでいた小説の続きが気になっていたとか、どうせそんなことだっただろうと思う。
どうしてもこうしても、数学の授業はまるで外国語を聞いているみたいにわからず、私は赤毛のアンのように授業中によそ事を妄想していたのだからできるはずもなかった。
1科目でも10段階で2を取ると進級できない。私は1学期の成績が2で、ほかは黒い字のその中で、2が赤い字で書かれていたのを、「ああ、これを赤点というのか」としみじみと眺めたものである。
学年評定で2なら進級はできない。
流石の私も焦った。居残り講習というのに強制参加になり、妄想禁止にして真面目に授業を受けた。
うちの高校は当時まだ珍しかった2期制で、通知表は年に2回しかなかったのが幸いして、私は後期で3を取り、数学の学年平均評定2.5で無事進級を果たした。
さて、話は戻る。
図書委員は、週に2回だか3回、放課後に図書室にいって、本を貸し出す係の当番をしなければならない。
本当は週に何回でいいものなのだが、みんなちっとも真面目になんかやらないので、私は喜んで毎日当番をしていた。
一級上の男子で、同じように毎日当番を買って出ていた先輩がいた。もう名前も忘れてしまったが、人間、一緒にいる時間が長いとその人に興味がわくというもの、受付をしながら少しずつ話をするようになった。
非常に頭のいい先輩で、高3のクラスの廊下に張り出された成績優秀者にその人の名前はいつも載っていた。
先輩はどこの大学に行くのかな、やっぱりこんなに本が好きなんだもの、文学部かな、国語の先生とかになるのかな、なんて思っていた。
その先輩は受付をしながら、よく飛行機のプラモデルを作っていた。眼鏡の奥で少年のような目がきらきらと光っていたのを覚えている。
図書室の貸出受付のカウンターは、先輩が作って並べた飛行機やら戦闘機で航空母艦みたいになっていた。
ある日先輩がポツリと「俺、自衛隊に入るんだ。飛行機に乗りたいから。」と言った。
当然大学に行くと思っていたのに、私は相当びっくりした。「自衛隊に入れば飛行機に乗れるんですか。」とかなんとか聞いたように思う。
恋をしていたわけではないと思う。でも、いつも一緒にいたあの先輩は今どうしているだろうか、と思う。晴れて飛行機乗りになっただろうか。もうとっくに教官とかになっているだろうか。
東京上空を時々飛ぶ自衛隊のヘリコプターを見るたびに、先輩乗っているのかな、と思い出す。
卒業するとき、一機プラモをもらった。実家にまだあると思う。
カテゴリ名: 学校生活