子どもが受験だったとき、毎週行っている日曜テニスを秋頃から模試の付き添いだの説明会だのなんだのと結構休んだ。
休むとテニスサークルの収入にも影響するし(コート代を参加者から定額徴収しているので)、プレー人数的にも迷惑が掛かっていたと思われるが、すべて「子どもが受験なので」と失礼していた。
冬は宿泊のスキーもあったが「滑るもの」はだめです、とこれも欠席していた。
いざ本番を迎え、1月、2月と受験は進んだ。
すごいな、と思ったのはみなさん、ほぼひと月に及ぶ間、途中経過を聞いてこなかったことだ。興味の対象としてはあったのかもしれないが、放っておいてくれた仲間に感謝。
2月も中頃になり、テニス仲間に何校残念で何校受かった、結果どこどこに行くことになったと報告をした。
試験は受かったり残念だったりするものだが、こうして遠くからそっとしておいてくれた仲間にはきちんと報告をする義務があると思ったのだ。聞きにくいことはこちらからアナウンスしないとね。学校が決まったことをみなさん喜んでくれた。
残念だったときは本当に落ち込んだりもしたのだが、親ががっかりしているところは絶対に子どもには見せたくなかった。
だって子どもは十分精一杯やったのだから。
ざっくり言ってしまえば、学校なんて手段であって目的ではないのだから、どこに行っても自分次第なのだと思う。
一流の名門校に行っても行き方(生き方)が一流でなければだめだし、今の時代はレッテルではなくて中身が大事。
学校生活を充実させて生きること、植えられたところに咲くこと、これは重要なことだと思う。
受験シーズン本番を迎える度にあの時の「穏やかではなかった」気持ちを思い出す。
しかし、入学して何年かたった今、また別の価値観に支配されている自分に気づく。
あの時のあの経験は結果どうあれ輝いていると思うし、周りに支えられていたと思う。そういうことに気付かされたことも受験の財産のひとつだな、と思う。
今年は上の子が大学受験生となる。中学受験と違って親の出る幕は少ない。
はてさてどうなることやら。12歳だった子どもも今年18歳になるのだな、と言う事だけが事実で、中身の成長が不安なだけ。
親はいつまでも心配なもの。
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