今日、娘は兄達が通う私立中学のプレテストを受けに行きました。
今日、母である私は、京都の宇治市で、平田オリザ氏・北川達夫氏・池田修氏・糸井登氏・蓮行氏のシンポジウムを聞きに行きました。
娘は、兄達とは違う、インターナショナルスクールと共存する私立中学を受験すると決めているので、今日のプレテストは、あくまで模擬と割り切って受けています。
娘は新たな志望校を決めたとたん、自立し始めました。
今日の段取りも、私は「京都のシンポジウムを聞きに行きたいけど、プレテストがあるからやめておくわ」と話していたのですが、父親に朝の送りを頼み、帰りは友達とロッテリアで昼食を取る約束をメールで取り交わし、その後は塾で勉強するから、ママはいなくても大丈夫だと言い出しました。
私は(は~っ?私は必要ないってこと?)と、一瞬呆気に取られました。
女の子だからでしょうか?
やはり兄達よりは精神的な成長が早いです。
3人兄弟の末っ子だからでしょうか?
自分が置かれている状況の中で、自分はどうすれば居心地がいいのか、すぐに察知して対処します。
ただ、これらの自立のためのステップは、娘にとっては受験勉強そのものなのです。
と申しますのも、娘が志望する学校は、自立を重んじる学校なのです。
説明会でも、そのお話があります。
「うちの学校は、自立心旺盛な子どもさんが多いですし、そんなお子さんでないと、きっと入学してからやっていけません」と。
そのことを娘も聞いて、知っているのです。
だから日常生活の中で自立していけるように、自分で練習しているのです。
見ていて、それがよくわかります。
今日のシンポジウムを聞いていて、入学試験は、コミュニケーションのようだと思いました。
学校側は、うちはこんなお子さんが欲しいのですと、テストや面接を通して表現し、求めるのです。
受験する側は、学校見学や説明会を通して取捨選択したり、模擬テストを通して釣りあいを計ったり、過去問を通して向き不向きをみたり、そして最終的には、やっぱり、どうしても、この学校と実際に話してみたいと覚悟を決めて、直接の話し合いをするために受験をするのです。
それらは、すべて学校側と受験者側のコミュニケーションなのだと思ったのです。
だから、合わないのに、向かないのに、釣りあわないのに行っても、うまくはいかない。
合う、向く、釣りあうということは、お互いにうまく話が噛み合う、学校と子どもが居心地良くコミュニケーションが取れるということなんだと思ったのです。
今日のシンポジウムのテーマは、“コミュニケーションティーチング”
演劇の手法を応用した、教育プログラムのことです。
テーマに沿った演劇を創作し、演じ、発表することで、そのテーマについて学び、同時にコミュニケーションスキルも向上させようというもの。
教育だって、変化しているのです。
「ユコ、どうだった、今日のプレテスト?」
「微妙」
日本語だって、変化しているのです。
いいのか、悪いのか(笑)。
でも、変化は進化と信じたい、そしてその方向に持っていく責任が、大人にはあるのだと思います。
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