創業153年。
今は2010年だから、引き算すると1857年。1853年(嘉永6年)にペリーが来航してから4年後。
ハリスが13代将軍家定に謁見した年である。(まさに今龍馬伝でやっているあたりか?)
記憶違いがなければ、その1857年(安政4年)というのは、夫の実家の豆腐店の創業年である。
夫が継いでいれば4代目になるはずであった。
ついに今年2010年(平成22年)初夏にその歴史に幕を閉じることになった模様。
商店街の同級生の実家もどんどん店を閉めているらしい。お肉屋さんだったり洋服屋さんだったり。
地方にも大型店舗が進出して、駅前通りがシャッター通りになって久しい。
味がいいから生き残ってきて、遠くから買いに来てくれる特定のお客様も多くあるようだが、体力の限界ということもあるらしい。ずっと手伝っていた姉がいるのだが、継ぐ気はないという。
もったいないが仕方がない。
スーパーにある大手工場の大量生産のお豆腐ばかり食べ続けていると、だんだんその味に慣れてしまい、おいしいお豆腐でなくても平気になってしまうのだろうか、値段で負ける個人商店は次々閉店していった。
87年5月に東京で結婚式をした私たちは、翌年1月に田舎でも披露宴をしたのだが、その時にゲストで来て下さったたくさんのお豆腐屋さん(同業者組合の皆様)はもう10年も前に1軒残らず店を閉めたという。
夫の実家は近所のスーパーに卸したり、中華料理やさんや飲み屋さんなどの飲食店に卸したり、給食を時々手がけていたので売りに歩くということはしていなかった中規模店だったのだが、小さなところから店じまいしていったということなのだと思う。
あとは工場みたいな大規模製造だけが残ったということ。
豆腐屋の特権、揚げたてのがんもどきにお醤油と生姜をつけて熱いうちに食べる、ということが夏からできなくなる。
行くと製造を手伝っていた時期もあったが、それももうおしまい。
誰かやる気のある人、継いでくれんかな、と言っていたが、そういう人をどうやって探せばいいのかも分からない。
早くからインターネット販売をして、いまや全国的に名前の知られたお饅頭屋さんになった同級生もいるが、お豆腐はネット販売にはなじまない。
こんなことが日本全国の商店街で起こっているのだとしたら、商店街はかなり末期的といわざるを得ない。
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