今朝は片山右京さんの富士登山での遭難報道を見ていた。
お仲間二人を目の前で失って憔悴しきった姿にも、ご遺族のコメントにも涙が出た。
遭難されたお二人は片山さんの会社の社員さんだということだが、ご遺族の「大好きな仲間と登った山で逝けたことは幸せだった」というようなコメントを聞いて、本当にそうなんだろうな、と思った。
この方たちには、偉大なF1ドライバー、片山右京の直下で働ける喜びというのがきっとあったと思う。自分は右だと思っても、社長が左と言ったら左。
ついていく、とはそういうことだと思う。
きっとお宅でも「片山さんが、社長が」という話を毎日していたと思う。
番組の中で「強い上下関係があったなら、事故に関しての管理責任というものがある」というようなコメントをしていた評論家や弁護士がいた。
それはそうなんだろうけど、片山さんはきっと私財をなげうってでも、二人の、残されたご家族を支援するだろうし、刑事が、民事が、ということではなく、何らかの形で必ず責任はとるだろう。社長とはそういうものである。評論家はごちゃごちゃ言っってるんじゃない、と思った。
私事で恐縮だが、今日は師匠の事務所やそこから派生した人々と合同で30人くらいの忘年会である。
この師匠が、うちにとっては片山右京みたいなもの。人生の先輩であり、仕事の先輩であり、私たちの仲人でもある。
まぁ、武勇伝も多い師匠ではあるが、反面教師でも何でも?この人には叶わない。
ふと見わたせばこういう人は周りにいっぱいいて、社長のオーラを出している。
強い責任感とフロンティアスピリットと野心、そして絶大な安心感で出来ているこの輝きは自分にはないものだが、その光を見られて、感じることができて、私はとても幸せだ。光はきらきらとしているが、とても謙虚に輝いている。
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