朝日小学生新聞特別増刊号 WILLナビNext

常に上を目指し、前に進む姿勢が大切

無限に感じられる奥の深さが囲碁の魅力

イメージ1

──囲碁を始められたきっかけは何だったのでしょうか。

坂井 小学1年生のときに、囲碁が趣味だった父から手ほどきを受けたのですが、すぐにのめりこんで、1~2年で父より強くなりました。囲碁というゲームは、現実には盤上は有限の世界なのですが、人間の能力からすれば無限の変化に感じられる、奥の深い世界です。また、終盤のギリギリの攻防で勝敗が入れ替わることも少なくなく、勝負としてのスリリングさもあります。そこに魅力を感じたのです。

──強くなるために、どれぐらい囲碁の勉強をされていたのですか。

坂井 寝食を忘れてというほどではありませんが(笑)、学校の宿題以外は囲碁ばかりやっていた時期もあります。ちょうど任天堂から携帯型ゲーム機が発売された頃で、ほとんどの子どもが熱中していましたが、私はまったく興味がありませんでした。コンピュータを相手にするよりも、人間同士が対局する囲碁の方が面白いと思っていたからです。

──小学生のときから、数々の大会で活躍されていますね。

坂井 小学5年生のときに、大人も出場する年齢制限のない大会「全日本アマチュア本因坊戦」で、兵庫県のアマチュアチャンピオンになりました。けれども、囲碁の腕に覚えのある小学生たちにとって、最大の目標は「小学生名人戦」です。私も小学3年生から出場していたのですが、なかなか日本一になれませんでした。とくに小学5年生では決勝で敗れ、悔しい思いをしました。ようやく小学6年生になって、小学生名人の座につくことができ、その後、中学でも3年連続で中学生名人になりました。

ページTOP

囲碁で鍛えた空間把握能力、計算能力が中学受験でも役立つ

──灘校を受験しようと思われたきっかけは何ですか。

坂井 私が生まれ育ったのは兵庫県三田市で、灘校からは少し離れていることもあって、灘校を受験するのがあまり一般的な地域ではありませんでした。実際、通っていた小学校から灘校に合格したのは、創立以来、私が初めてだったそうです。ただし、私の場合は、近所に灘校の名物柔道教師である長谷川勉先生が住んでいて、父の知り合いでした。長谷川先生は、私が小学3年生の頃から、「勉強ができるそうだから、灘校を受けてみたら」と、入試が終わった時期に入試問題を届けてくださっていました。こうして、私にとっては灘校が身近な存在になっていったのです。
 とはいえ、私の最大の目標は小学生名人になることですから、受験勉強に専念したのは、小学生名人戦が終わった8月中旬からです。

──そんな短期間で難関の灘校入試を突破するのは大変なことだと思いますが、自分なりに工夫した勉強法はありますか。

坂井 他の受験生に比べると短期間だったかもしれませんが、小学5年生からは家庭教師についていましたし、名人戦以降は塾に通い、完全に囲碁を断ち切って猛勉強しました。休みの日などは1日12時間以上勉強していたと思います。また、当時の灘校の入試は3月で、現在よりも約2カ月間余裕がありました。
 しかし、今振り返ると、小さい頃から囲碁をやっていたおかげで、受験に必要な力も身についた気がします。囲碁は、試合の前半では、どうすれば陣地をより広く囲えるかという「空間把握能力」、試合の後半では、陣地をめぐるきわどい数の争いになりますから、「瞬時に正確に計算する能力」が問われます。少し囲碁の宣伝めいた話になってしまいますが(笑)、勝負の中で、常に算数の入試問題を解いているようなもので、実際、算数は得意でした。そのほか、囲碁は長い時間考え抜く集中力が養われますし、情操教育にもいいと思います。なぜなら、多くの囲碁の対局では、敗者が自ら「負けました」と宣言、つまり投了することによって終局を迎えます。自分で納得して負けを認めて、また切り換えて次の対局に生かす心構えが要求されます。子どもにとって、自分の負けを受け入れるのは、なかなか辛い状況ですが、その繰り返しの中で精神面が鍛えられる意義は大きいのです。

ページTOP

念願の世界チャンピオンになり、プロの世界へ

イメージ2

──灘校時代で印象に残っていることを教えてください。

坂井 先生も生徒も個性的なタイプが多く、楽しい中高生活でした。型にはまらない授業ばかりで、教科書とはまったく関係なく授業が進んでいきます。生徒から質問されれば、いくらでも深く教えてくれ、生徒の好奇心を上手に引き出す授業だったと思います。
 学校の勉強と並行して、囲碁にも取り組んでいました。先ほど申し上げたように、3年連続で中学生名人になりましたし、高校生のときは、囲碁部の主将として、全国高校囲碁選手権大会の団体戦で2年連続優勝することができました。

──医学部を志望された理由は何ですか。

坂井 父が開業医で、小さい頃から医師は身近な職業でした。父の姿を見て、やりがいのある仕事だと感じていましたから、医学部を目指すことを決め、高校3年生からは囲碁を離れて、受験勉強に専念しました。両立は難しいと考えたからですが、正直なところ、2年も浪人することになるとは想定していませんでした。受験勉強に関しては苦労した思い出が多く、とくに2浪が決まったときはかなり精神的に落ち込みました。結果的に、京都大学医学部に合格するまで、囲碁を中断する期間が長くなってしまいました。

──京都大学医学部時代の思い出を聞かせてください。

坂井 3年間も中断していた囲碁に対する渇望があり、大学入学後はますます囲碁にのめりこみました。囲碁の成績は順調で、様々な大会で日本チャンピオンになるようになり、2000年6月には、JAL杯世界アマチュア囲碁選手権で、念願の世界チャンピオンになりました。その結果、学業は若干おろそかになり、1年余分に大学に通いましたが(笑)、2001年に医師国家試験を受けて、医師免許を取得しました。

──医師免許を取得されながら、プロ棋士になられたわけですが、どのような思いで決断されたのですか。

坂井 大学入学後、わが師である故・藤沢秀行先生に習いに行く頻度が増え、卒業2~3年前からは棋力が格段に向上していることを実感するようになりました。これならプロとして相当なところまで行けるのではないかと考えたのです。世界チャンピオンになったことで、アマチュアとしては終着点まで到達し、次の新たな目標を見つけることができそうもなかったことも、理由の1つです。それに、医師は激務であることも十分に承知していましたから、医師になると囲碁とは距離を置くことを覚悟せざるをえません。小さい頃から大切にしてきた囲碁と離れるのはとても寂しいとも感じたのです。
 そんな様々な思いから、プロ棋士になることを決断し、2001年9月、試験を受けて飛付5段でデビューしました。2010年には、7大タイトルの1つである「第35期碁聖」を獲得しました。

ページTOP

再びの7大タイトル獲得を目指して、日々精進していきたい

イメージ3

──今後の目標をお聞かせください。

坂井 プロ棋士になった当初は、もっと明るい未来を思い描いていたのですが、7大タイトルを獲得するまでに9年間を要しました。しかも、翌年の防衛戦に失敗し、現在は無冠です。なかなか思い通りにいかないもので、こんなはずではなかったというのが正直な気持ちです。けれども、私はまだ発展途上の棋士です。今後は、再びの7大タイトル獲得を目指すとともに、常に五指に数えられるような成績を収めていくことが目標です。そのために、強い気持ちで日々精進していきたいと考えています。

──28歳でプロ入りされたわけてすが、もっと早く飛び込んでおけばよかったという思いはありますか。

坂井 確かに、プロ棋士は小学校の高学年くらいから「自分は囲碁の道で行く」と決める人が主流で、中卒の人も多い世界です。けれども、私の場合は、自分の実力に自信がついたのが遅く、早い段階で学業に見切りをつけて、プロを目指す踏ん切りはつきませんでした。中学時代からプロになっていれば、もっと強い棋士になっていたとは思いますが、それは考えても仕方のないことです。それよりも、現在の立場で、今後さらに強くなっていくにはどうしたらいいかを考えることの方が重要です。

──最後に、これから中学に入学する子どもたちに向けて、アドバイスをお願いします。

坂井 私はプロ棋士として、常に上を目指し、前へ進もうという一念で日々を過ごしています。皆さんにもぜひ、より上へ、より前へという志を持ってほしいと思います。そのためには、後になって、中高時代に無為な時間を過ごしたと後悔することがないようにすることが大切です。それから、先生や両親など、身の回りの先輩のアドバイスには素直に耳を傾けるようにすることが重要です。うるさく感じがちな時期でしょうが、私の年齢になると、そうしたアドバイスが貴重なものであったことがよく分かります。

ページTOP