61人の中3生が、自由の森学園の中学校を卒業していきました。
3年間、自分がなんとか奮起していればもっとクラスがよくなったかもしれないと後悔の念を表して在校生に「もっとクラスを見つめて」と語る卒業生がいたり、3年間の自分の時間の山や谷がどんなものであったのかを語る卒業生がいたり、涙も含めてたくさんのメッセージを受け取りました。
私からは、糸井重里さんのエッセイの一部を紹介。
「正しくあろう」としたことが、かえって大きな間違いの渦にいろんなものを引き入れてしまう。それに「正しいことばかり」をしていても実は得られない。だとしたら、「おれが(主語)」「まちがう(述語)」という覚悟をもって何かに向かえば、「御免」と言って許される関係の中で、したこと・起こったことの意味や効果が生まれるのではないか。
というような私の読み取り方があって、その話をさせてもらいました。子どもたちと向き合うとき、私たち大人の持つ「正しさ」をもう一度「本当にそうか?」と自分に問うことが大切な何かを生み出すのかもしれない。昨年の夏に出会った文章です。
今日の卒業生たちが新入生だった3年前、「間違ってもいい」「失敗してもいい」という話をして迎えた学年。糸井さんの力を借りて、もう一度、もう少しはっきりと、卒業生に向かって話しました。それにしてもよく聴いてくれる人たち。ありがたいです。
式は在校生がつくったあたたかなものでした。
いい卒業式だったなと思います。
みんな、卒業、おめでとう。
また話そう~。
カテゴリ名: 自由の森のこんなこと
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